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不安へのあがき

あんたにも気分が落ち込むことってあるよな。

暗いニュースばかりが目に飛び込んできたり、その暗いニュースに正面から向かい合わなきゃいけないって思いが自分の中に充満してきたり、エンタメでも気がつくと暗い物語を探しにいったりしてしまう。

きっと健全な精神状態ってやつと少し離れたところに自分がいるって思うような状態だ。

経験上、そう言う状態に自分がなる理由ってのは明確になることは少なくて、いろいろな状況が重ね合わさって生まれるもんだと思う。

今回は自分の中に生まれる「不安」という虚構について考えてみる回だ。

まあ、オッサンの処世術についてちっと振り返ってみるのに付き合ってくれよな。

不安に実体は無い

まず大前提として、不安には実体が伴わない。

何か生活を送るにあたって何かしらの障害があるってケースも普通にあると思う。
ただ、そう言う障害が明確になっている場合、俺たちはその障害をクリアするって行動を起こすのがほとんどだと思う。
だって、障害なんだもんよ。なんとかしなきゃならんもんよ。

俺たちは義務教育から始まる学校教育で多くの「答えのある問題」を与えられ続けてきた。
その意味では俺たちは問題が明確になりさえすれば、そこに対する回答を導き出すための訓練を積んできていることになる。
もちろん100点を取れるかってのは別問題だとしても「答え」は出す事ができるわけだ。

厄介なのは、この問題が明確にならないことだ。
そして、実に困ったことに問題が明確になることのほうが実生活ではレアなんだよな。

そうして、明確にならない問題が複合的に俺らに折り重なってきて生まれる感情。
そいつが「不安」ってわけだ。

不安の感情が俺たちにもたらすもの

この不安って感情は俺たちにどんな影響をもたらすんだろう?

不安に実体が無い以上は、明確な「答え」に向かった作業をすることは出来ない。
その結果として俺たちはどうなってしまうのか?

「何もしなくなる」んだよな。

だって、どうやっても不安に「対応出来た」って感覚を得られない以上は何をやっても達成感ってのを得ることは出来ないもんな。

そうするとなにも出来ない自分ってのを強く感じ始めちまう。
「俺はだめなやつだ」なんて感覚が出てこようもんなら、さらなる不安がその感覚から生み出される。

まさに負のスパイラルってやつだ。

達成指標と行動指標

実際、この不安に対応するためにはどうすれば良いのか。

よく言われるのが「行動しろ」なんだよね。

行動をすることで、不安への対応をするというよりは不安という感情に自分の体を支配させてしまう時間を短く出来るってスンポーだな。

とは言えだ。
そう簡単に「行動しとけよ、ボケ」って言われても、そもそも何を行動したって不安は解消しないんなら意味ないじゃんって思っちまうわけだ。

多分だけれども、そう言うときの俺たちは達成指標ってのに縛られすぎているってのがあるような気がする。

例えば○○を仕事にして毎月いくらの収入を得る!って目標をあんたが持っていたとする。
こいつが目標に対して達成できているかどうかって言う達成指標ってやつだ。

ところが、「毎月の収入」というわかりやすい指標に対して、あんたが到達できていなかったとする。

この達成できたかどうかってことだけに意識を持っていくと、「達成できなかった」って結果だけを見て「自分はダメだ」みたいに思っちまうのがヒトってもんだと思う。

でも実際はその達成のためには計画があって、その計画は行動の予定のカタマリなんだよな。

だから、俺たちは「目標」の前に「行動できたか」って基準を意識する。
それが行動指標ってやつだ。

行動指標の良いところは、実際に動けたかってことを意識するので、無理矢理でも「行動する」って状態に自分をしようと仕向ける事ができることなんだよな。

さっきも書いたとおり不安の大敵は「行動しないこと」である以上はどうやって自分に行動させるのかってのが大事だもんな。

あとはその行動が目標につながっているってことを振り返る事ができるための計画の見える化ってハードルがあるだけだ。

こいつは実に難しいが「答え」を出せないものじゃない。
つまり「問題」は明確にできる話ってわけだ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは計画と行動で不安を自分の中から追い出せると思うかい?

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