鬼滅の刃をオッサンが語る

あんたもマンガを一気買いしたりするかい?

大人気マンガ鬼滅の刃をニワカ代表のような気分でこの間一気買いしたわけだけれども、最終巻が12月発売ってことで生殺し気分を満喫しているんだよね。

実際、あの話は序盤と中盤で物語のテンションが微妙に変化しているようにも感じられたんだ。

なんつーんだ?
小休止がない感じ?

炭治郎は戦いの都度、大怪我をして、その復帰のために休養を余儀なくされるわけだけれども、その休養が回数をかけて描かれなくなってきているっていう感じかな?

その他の要素もあるかも知れないけれども、序盤に比べて中盤以降の話の展開はオーソドックスでありながら、俺たちを魅了する要素がどんどん盛り込まれている印象を受けたんだよね。

今回は一気読みした最終巻手前までの鬼滅の刃について考えてみる回だ。

まあ、オッサンも流行り物にはついていきたいわけよ。
付き合ってくれるだろ?

鬼滅の刃を変えたもの

鬼滅の刃をコレほどに世の中に受け入れさせた最大のきっかけってなんだろう?
そう考えてみたときに、やっぱりアニメの存在は大きいと思うんだよね。

原作マンガを読んでみて改めて思ったけれども、このマンガの表現から、あのアニメの表現を引き出したってのはものすごいデカイ功績だと思うんだ。

水の呼吸にせよ、雷の呼吸にせよ、炎の呼吸にせよアニメであることにコレほどに意味をもたせた表現って無いよな。

炭治郎の水の呼吸の技を繰り出すときの、あのコントラスト。
善逸の雷の呼吸の技を繰り出すときの、あの疾走感。
煉獄さんの炎の呼吸の技を繰り出すときの、あの圧倒感。

そのいずれもが原作マンガにはなかった要素だと思うんだ。

アニメの意味を表現してくれた会社

このスゴイ要素を作り込んだ会社ってどんなんだ?

そいつがUfotableという会社らしい。

上記のサイトを見てみてほしいんだけれども、あの鬼滅の刃の華々しい感じはほとんど感じさせない、素朴な感じのサイトなんだよな。

この会社のヒトたちがあのアニメをこさえたのかって思うと、なんかくるものがないかい?

で、ちょっと調べてみるとこの会社、映像制作に関するスタッフを社内メンバーだけでまかなっているらしい。

アニメーション制作って言うと、単金の安いオフショアへアウトソーシングってのが普通の流れだけれども、この会社はそうじゃないってことらしい。

ものづくりにおいて、いちばん大切なのがコミュニケーションのとりやすさだってことのようだ。
この意味では、グローバル化とは真逆の戦略をとっている会社なんだなぁ。

また地方創生って意味でもこの会社の動きは特徴的だ。
徳島にスタジオをつくって、そこでの制作活動を一つの軸にしているらしい。

「普段、目でみたものや接したものが画面に現れる。そのため、東京とは違う良い環境でアニメをつくりたい」
出典:Wikipedia

なんか、ちょっと意味のある会社っぽい感じがするよな。

鬼滅の刃から香坂兼人が読み取る命の意味

で、そんな素晴らしいヒトたちによって作り上げられたアニメによって盛り上げられている鬼滅の刃というマンガなんだけれども、テーマはなんだと思う?

敵味方に関わらず表現されるそのヒトや鬼が「そうあれかし」と願うに至ったまでの背景が他作品に比べて丁寧に書かれている印象があるよな。

魘夢はほとんど描かれてなかったのがちょっと残念だけれども、本当にその背景の描き方についてはヒトと鬼の垣根なしに描かれていたと思うんだ。

その背景によって描かれていたもの。
命。
そうか、鬼滅の刃は命のマンガってことが言えるのかも知れない。

では数多くの命の物語を描き出すことで鬼滅の刃は何を俺たちに語りかけているんだろうか?

きっと、共感する価値ってことなんじゃないだろうか?

俺たちヒトは社会で他のヒトと協力しながら生きていかなければいけない。
これはホモサピエンスが他者との協力によって生き延びてきたっていう生物学的歴史に裏打ちされている事実だ。

では協力するために必要なものはなにか?
それが共感なんだと思うわけだ。

炭治郎は敵味方の境界線を妹の禰豆子が鬼になってしまうことによって、物語の冒頭から曖昧にさせられてしまっている。

それ故に鬼が鬼になってしまった背景について思いを馳せるし、共感さえする。

この共感こそが物語全体を通じて描き出されたものなんだろうな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは鬼滅の刃という物語から何を感じたかをもう少し語り合っても良い気がしないかい?

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