情報の責任
あんたもいろんな自動化の仕組みを利用しているかい?
俺たちの日々の生活ってびっくりするくらいいろんなことが自動化されているよな。
洗濯機だったり、電子レンジだったり、なんならベッドだって自動で何かをしたりしているじゃん。
俺のスマホとか頼みもしないのに俺に関係ありそうなニュースを語り始めたりする。
オンライン会議中とか迷惑この上ない。
そんな自動化について、みんな大好きやひろさんがとある本を読んだ感想を書いてくれていた。
たぶん結構多くのヒトが考えたことがあるかもって思うんだけれど、自動運転自動車が事故を起こしたときに「誰が責任を取るのか?」問題をテーマに書いてある部分があったんだそうだ。
やひろさんの紹介でオモロイなぁと思ったのが、その本の物語に出てくる「交通安全責任課」ってやつだった。
自動運転がメジャーになっている世界観でその自動運転車が事故を起こしたときにその自動車メーカーが責任を負うのでもなく、自動運転車を利用しているユーザーが責任を負うのでもなく、その交通安全責任課が責任を負うってやつなんだと。
なかなかなファンタジーだけれどさ。
ヒトが掌握仕切っていない仕組みを利用したサービスってのがリアルであるじゃん。
今回はそんなサービスの根っこの部分がヒトの制御化に無いときのことを考えてみる回だ。
ちっとこの答えのない思考に付き合ってくれやな。
検索エンジンというサービス
俺がまず思いついたのはいわゆる検索エンジンだよな。
GoogleとかYahooだとか。
検索エンジンってのは大体の仕組みとしては、クロールと呼ばれる動作でネット上の情報を巡回して集めてきて、その情報をAIでキーワードを抽出していくってやつじゃん。
で、このクロールの仕組みと「価値ある情報」を提供しているって価値判断は一昔前ならある程度のルールをヒトが決めていたんだよな。
いや、厳密には今もヒトが決めているって言えるのかしらんけれど、AIが「品質の高いコンテンツ」ってのを決めている過程ってのをヒトが全部追っかけることは情報量的に不可能だよな。
自動的にコンテンツを表示するサービス
検索エンジンじゃなくても、ニュースサイトやfacebook、TwitterなどのSNS。このnoteもそうだけれど、そもそも検索しないでもユーザが興味を持ちそうな情報ってのを全自動で出すようになっている。
広告とかはコンプライアンス的な問題があるのか、その広告が出た理由を軽く説明はしてくれるけれど、ユーザが作った広告ではないコンテンツについては表示されてる理由は説明されないのが一般的だよな。
おそらくは検索履歴や閲覧履歴からAIが判定して「価値ある情報」を判断しているんだろうけれどさ。
情報の価値に対する責任
でさ。
検索エンジンでもニュースサイトでもだよ。
そこに表示される情報に「価値がある」ってことに対してもはや俺たちは誰にも責任を求めちゃいない気がするんだよな。
そもそも自分にとって「価値がある」ってどういう状態なのかなんて、言語化したことのあるヒトの方がレアかもしんないしね。
でも、今回のやひろさんの記事は確かに俺の感覚だと価値ある情報だったと思うわけよ。
だってオモロイもん。
でもnoteでもfacebookでもTwitterでもタイムラインに流れてくる情報が100%俺にとって価値があるかって考えると、そんなわきゃーねーわけだ。
なに?そんなん当たり前だろって?
そう、俺たちはそれを「当たり前」として誰にも責任を求めていないんだよ。
でもさ。
考えてみると、結構おっかなくね?
つまりは手続きの詳細がわからない仕組みで「おまえこれスキだろ?」って判定されて、結果が違ってたら俺たちの時間が無駄に消費されるってことだよな?
無駄な時間を消費させられるってのは、文字通り命の無駄使いをさせられているってことだぜ?
俺たちはすでにシステムに命の使い方を設定されている世界に片足突っ込んでいるってわけだ。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは俺たちが持っていた自分の命を使う責任を取り戻すことが出来るんだろうか?
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