見出し画像

俺たちの身の回りにある物語

あんたは創作物に魂が宿る的な物語を見ているかい?

俺はこの手の物語が大好物なんだけれど、その源泉はって言われたらやっぱ鉄腕アトムになるのかもな。

ちょっと関係ない話だけれど、鉄腕アトムの7つの力で最も恐ろしい力って悪人を瞬時に見分けるって能力だよな。
なにそのシビュラシステム。©PSYCHO-PASS

でだ。
そんなヒトの作り出したものに魂が宿る系の話でこんな記事を見つけたんだ。

この話は美人画の表情が徐々に変わっていく物語なんだけれど、その理由が実にヒトの感情の複雑さを表しているんだよな。

この短い表現で描ききっているのがすごいなって思わせてもらった。

今回はヒトが作り上げたものに物語を感じるってことを考えてみる回だ。

ちっとヒトが物語を求めているってことについて考えてみようぜ。

オルゴール博物館に行ったとき

昔ね、手作りのオルゴールの展示をしてくれている博物館みたいな場所に行ったことがあったのよ。

オルゴールっていうとさ、俺の感覚だとあの手元でちっちゃくクルクルハンドルを回してちっちゃい音楽を奏でるものって印象だったんだけれども、そこに展示されているものは圧倒的にデカく、そして演奏される音楽も複雑なそして壮麗な感覚さえ覚えさせるものだったんだ。

そのオルゴールを見たとき、あんたならどんな感覚を持つのかね?

俺は、思わず想像しちまったんだ。
そのオルゴールを作り上げたヒトたちの物語を。

大きなオルゴールは円盤に音階を表現するトゲを刻んで、その円盤を機械的に回すことで金属ハープを鳴らすことで音楽を奏でるんだけれども、その機械部分を作り上げたヒトも譜面を円盤に落とし込んだヒトも、音楽を繰り返し聞きたいと言う他のヒトの思いに向けてものづくりをしたんだよなって思ったんだよ。

そう思ったらさ、なんか涙が出てきたんだ。

音楽ってのは、文化の一つだ。
本質的には、衣食住のようなヒトが生きるために絶対必要なものじゃないけれども、ヒトがヒトとして生きるためには欠かせないものだ。

なんか矛盾したような表現だけれども、俺はそう思うんだよな。

その生産性を上げるかどうかわからないものだけれども、そこに聞くヒトの思いがあって、その思いに応える職人がいた。

その実態として俺の眼の前にオルゴールがあった。

ホント、それだけなんだよ。
それだけで、涙が出てきたんだ。

俺たちの身の回りに作り上げられたもの

でね。

このオルゴールに対して抱いた感情ってのは、実は俺たちが日常的に味わうことができる感覚なんじゃないかとも思うんだ。

なぜって?

だってこの俺たちが使っているnoteって仕組みも誰かが何かを表現したいって思いと誰かの表現を読んでみたいって想いをつなげるために誰かが頑張って作り上げた仕組みなわけじゃんか。

それ以外にもGoogleだって、facebookだって、X(Twitter)だって、コンビニだって宅配だって俺たちの身の回りにあるありとあらゆる仕組みがどこかの誰かが俺たちに向けて作り上げているんだよな。

もうさ。
俺たち泣いて良いんじゃないかな?

どこかの誰かが、会ったことすら無い俺たちに向けて仕組みを作って運用している。
俺たちにはこれが必要なはずだって思いを込めてね。

思いと言う物語

そして、思うわけだ。

思いってのは客観的に観測できるものじゃないって。

思いってのはそれ自身が物語なんだよな。
つまりは虚構だ。

この虚構ってのはヒトを結びつけるための強力な力なんだ。
宗教も貨幣も国という枠組みも全てはこの虚構。
物語が作り上げた力だもんな。

何度も書いているけれど、虚構ってのは別にネガティブな言葉としては使ってないのよ。
虚構ってのは俺たちにとっての旗なんだ。

目指すべきものを共有するための象徴って感じかな。

なので、俺たちの身の回りにあるものから物語もしくは虚構を抽出するってのには意味があるはずなんだよな。

なあ、あんたはどう思う?

あんたの身の回りにはどんな物語が転がっている?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?