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ブルース・ウィリスさんが認知症になったって意味

あんたもブルース・ウィリスさんが認知症を患ったってニュース見たかい?

いや、ぶっちゃけよ。
めちゃくちゃショックなわけよ。

何がショックってさ。
ブルース・ウィリスさんの演じてきた役って頑固で何事にも屈しないって役ばっかだった印象なんだよな。

その力強い印象だけを残してくれたブルース・ウィリスさんが病に倒れたってってのも肌が粟立つほどのショックを俺に与えているんだ。

その上で、認知症という誰かとコミュニケーションを取ることを難しく指せる病を患ったってこと。
現時点では認知症に対する効果的な治療法がないってこと。

今回はこのショックと向き合ってみようって回だ。

どうしたって、このショックには対応出来ないとは思うんだけれど付き合ってくれよな。

ブルース・ウィリスというヒトの存在感

実際のところだ。
あんたにとってブルース・ウィリスってヒトはどんな存在なんだろう?

俺にとってはだよ。
タフガイの代名詞みたいなヒトだと思うんだよな。

アーノルド・シュワルツェネッガーさんとかシルヴェスター・スタローンさんのようなわかりやすいタフさじゃなくて、絶妙に精神的なタフさみたいなものを表現してくれる役者さんだと思ってるんだ。

かと言って、キーファー・サザーランドさんのジャック・バウアーみたいに強烈なキャラクターと紐付けられているって印象も少ない。

ダイ・ハードはブルース・ウィリスさんの代表作だとは思うけれど、ブルース・ウィリスさんはブルース・ウィリスさんであって、ジョン・マクレーンじゃないんだよな。

キムタクが「HERO」の久利生公平でも「ラブジェネレーション」の片桐哲平でもないのと同じ感じ?

認知症という病

そんな精神的なタフさの象徴であったブルース・ウィリスさんがだよ。

認知症にかかったってのは実に俺の感覚を刺激するわけだ。

だってよ。
その精神力の源であるヒトとのやり取りを出来なくなっちまう病に侵されてしまったんだぜ。

しかも、その病は治療する方法が現時点では確立されていないときた。
こいつは厳しい。

ものすごい自分勝手に言っちまえばだよ。
ブルース・ウィリスさんが俺たちに与えてくれていたヒーロー像を俺たちはこれから新しく手に入れることが出来なくなったってことだもんな。

自分が認知症になるってこと

まあ、そんな自分勝手なことだけ言っててもよろしくないんで、ちっと違った観点でこのことを考えてみる。

俺が認知症になったらどうなるんだってことだ。

ぶっちゃけ、認知症なんて病気は誰にでもなる可能性があると思う。

そして、その病気になったら、世の中との接点を断ち切らざるをえないってことになると思う。

俺が認知症になったら、仕事は立ち行かなくなる。
結果として家族にも巨大な迷惑をかけることになるだろう。
仕事仲間に対するインパクトもシャレにならないくらいだろう。

そしてこのnoteを読んでくれているあんたにも俺の記事を届けることが出来なくなるってことだ。

シンプルに俺だけの立場から考えれば、実に多くのつながりを捨て去ることになる。
同時に俺が必死こいて作り上げてきた世の中への価値ってものも失われることになる。

なんなら家族にとって認知症になった俺はお荷物以外の何物でもない存在になる。

ホントさ。

この認知症って病気は死よりも辛い現実ってのを運んでくるもんだと思うんだよな。

俺にとっても。
俺の周りのすべてのヒトにとっても。

今の思い

とは言いながらだよ。

俺たちはいつ何時、認知症のような自分の意識や意図みたいなものを自分のコントロールから奪われるような病気に侵されるとも限らないってのは現実だと思うんだよね。

だとすればだよ。
考えることが出来る今、何かを記録に残しておくってのは意味があるんじゃないかって思ったりするんだよね。

今俺が考えていられているのなら、俺がこう言うふうにnoteに何か書き残していくってのはなんかしらの意味をもつ作業なのかもしれない。

なあ、あんたはどう思う?

ブルース・ウィリスさんが残してくれた価値ほどじゃなくても、俺たちが何かを残すってことに意味があると思うかい?

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