物語のキャラクターに俺たちが求めているもの
あんたも物語を楽しんでいるかい?
この間、noteで物語を構成する要素について考えてみたんだ。
そこで俺の感覚で物語を構成するのは
テーマ
表現手法
キャラクター
起承転結の構成
って整理してみたんだよね。
今回はこの構成要素のうち、キャラクターについて考えてみる回だ。
ちっと俺たちがキャラクターに何を求めているのかを考えてみようぜ。
キャラクターに求められるもの
テーマと違って、キャラクターについてはどの作品にも同じようなキャラクターが求められるわけじゃないと思うんだ。
むしろ多様なキャラクターが影響し合うことが物語を形作る重要な要素になることが多い気がするよな。
前回取り上げた鬼滅の刃にしたって、主人公とラスボスの鬼舞辻無惨はメチャクチャわかりやすく生粋の悪役キャラクターとして描かれている。
主人公の炭治郎がジャンプ史上最も優しい主人公という評価があるくらいに他者への思いを強く持っているのに対し、鬼舞辻無惨は自分以外の誰一人も重要だと思っていない。
一見して全く違うキャラクターだよな。
ところがオモロイのがこの二人は考え方の軸に「命」ってのが常にあるんだよな。
炭治郎は家族の命を失ってから、常に全力で他者の命を守ろうと動くのに対し、鬼舞辻無惨は自分の命を守ろうと他の生命をすすって生き続けている。
対象が違うだけで、ふたりとも「命」について常に考えているわけだ。
ここから考えられるのはキャラクターに求められているものは、「影響しあうための軸を表現すること」なんじゃないかって思うんだよね。
宇宙戦艦ヤマトの対立軸を考える
そう考えてみると、過去の作品ではどんな対立軸がキャラクターによって描かれていたんだろう?
例えば宇宙戦艦ヤマト。
主人公の古代進とデスラーの対立軸はなんだったんだろう?
この場合はたぶん「国への愛」なんだよな。
古代は地球に残る人々を救うために様々な苦難に立ち向かっていくし、デスラーはガミラスのためにヤマトを破壊しようとし、最終的にはガミラスの一部を破壊してでもヤマトを破壊しようとする。
これも守るべき対象が違うだけってのが見えてくるよな。
その軸によって宇宙戦艦ヤマトの「愛とはなにか」というテーマを浮き彫りにしようとしているわけだ。
ガンダムの対立軸を考える
例えばガンダム。
ガンダムの場合はアムロとシャアだよな。
この二人の場合はバトルがメインで捉えがちなんだけれども、キャラクター性という意味で考えると、なかなかに難しい。
なんでかって?
実のところ、アムロには明確な意思が感じられないんだよ。
あくまで状況に対応していった結果として最強の兵になってしまったキャラクターなんだよな。
だから、ガンダムの次回予告では毎回言うだろ?
「君は生き残ることが出来るか?」ってさ。
アムロにとっては生き残ることだけが目的なんだよ。
対してシャアは生まれの環境のせいで、明確な意思を持って生き抜いている。
父親の敵であるザビ家への復讐を胸に常に先読みをしながら生き抜いている。
そのために敵の懐に飛び込み、あまつさえ友人関係すら演出しながら、その友を死地へと追いやる。
その非情とすら思えるような意思は驚嘆に値するものだ。
この二人の軸ってなんなんだろう?
多分だけれども「命の使い方」なんだよな。
状況に流されながら最強の兵となってしまったアムロは「生きるために命を使う」。
対してシャアは「復讐のために命を使う」。
その結果として、ふたりともララアという最大の理解者を失ってしまう。
「生きるため」に命を使ったアムロは理解者の命を奪ってしまい、「復讐のため」に命を使ったシャアは理解者の命を奪われてしまう。
これは戦争という状況がどんな命の使い方をも水泡に帰してしまうということを描いているんだろうか?
多分。多分だよ?
この軸によって描かれているのは「それでも生きなければいけない」なんだと思うんだ。
アムロもシャアも結局は生き続けていった結果、実に多くのヒトを巻き込んでいく。
それはまるで俺たちも同じ様に「生きろ」と言われている様に感じるじゃんか。
なあ、あんたはどうだい?
あんたのお気に入りの物語でのキャラクターの対立軸を眺めてみたら何が見える?
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