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大人の定義

あんたにとって大人って言葉がどんな意味を持っているのかなんて考えたことがあるかい?

なんとなくnoteをプラついていたら、こんな記事を読ませてもらったんだよね。

ははぁん。大人ってなんぞやとな。
18歳になると自動的になれるのは「成人」であって大人じゃないってことかな?

うむむ。なんか大人ってなんだってことを考えるなんて学生時代以降やっちゃいない気がする。

なんとなく立派な大人ってのは何かなんてのは考えたんだけれどね。

このときに考えたのは立派な大人ってのは「自分のせいに出来るヒト」って整理をしてみたんだよね。

でもさ。
立派じゃない大人ってのも普通にいて良いわけじゃん。

そう言うヒトを含めて「大人」ってのが何かってのは考えたことが無いかもしれない。

今回は大人って言葉について考えてみる回だ。

まあ、いつもの通りの禅問答に付き合ってくれよな。

立派じゃない大人を想像する

なんつーのか、周りにいる大人と呼ばれるヒトたちを眺めてみる。

俺よりも年上の大人。
俺よりも年下の大人。

どんな大人を見ていても、大体どっかしらに立派なところがあると思う。

何かしらかの課題を抱えて、それを自分ごととして処理しようと躍起になっているように見える。

でも同じ様に立派に見えない行動をするってのも普通に見ることが出来る。

一番多く見るパターンは「手を抜く」ってことをするヒトだね。

で、同時にこの「手を抜く」って行為は体力的に厳しくなっている体を引きずりながら生きている大人にとっては必須の能力だったりもする。

おおう、そう考えていくと「立派かどうか」ってのは大人を定義するのとは関係のない要素ってことになるのかもな。

大人じゃない成人を想像する

じゃあ、立派かどうかが判断基準になれないなら、まずは俺の中で法的に成人になっては居るけれど「このヒト大人じゃないよな」ってのをどういうときに感じるかだよな。

自分勝手なことをしているヒトか?

いや、なんか違う。
実に多くのヒトの利害関係を調整しながら「自分勝手」を貫いているヒトって俺の感覚では大人って言える気がするし。

感情に翻弄されているヒトか?

ちょっと近づいてきた気がする。
ただ、感情を爆発させることで生きている大人ってのも居ると思うんだよな。
芸術家とか。

大人って言うステータスに必要なもの

こう考えていくと、大人って言葉の輪郭が見えてきた気がするね。

多分、キーワードは「ガマン」なのかもしれない。

ガマンが出来るヒトが大人?

惜しい感じだ。
なんだろう?

そうか。
「ガマンする意味を想像できるヒト」ってのが一番しっくり来るかもしれない。

俺たち大人ってのは結構なガマンってのをすることを求められる。

そのガマンってのをするための訓練を学生時代にしこたま仕込まれるもんな。

ぶっちゃけ、高校の数学やら古典やらなんて、実社会に出てから直接使うことなんてありゃしない。
ありゃぁ、そう言う意味ではどんだけその状況に耐えることが出来るようになるかって練習みたいなもんだよな。

そして、その練習の成果を使ってガマンを出来る様になるわけだけれども、ポイントは「意味を想像する」ってことだと思うんだよな。

学生時代のガマンってのはただひたすらに周りの環境に合わせたものであることが多いと思う。

部活とかで、目標をもってガマンすることもあると思うけれど、それも与えられた目標なんだと思うんだよ。

で、社会に出てからもその外部要因からの目標ってのは当然あるわけだけれども、その与えられた目標を「自分の目標」に変えていくってのが必要になってくると思うんだよな。

他人から与えられた目標を自分の目標に変えるために必要なもの。

そいつが「意味」だって思ったんだよな。

自分がどうなりたい。
そのために目の前にある目標ってのが自分にとってどんな形で捉えていくことが出来るのか。

そいつを想像したやつは、大人って言って良いんじゃないかって思ったんだよね。

なあ、あんたはどうだい?

大人になるための条件ってのは、あんたにとって何だと思う?

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