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学ぶための力

あんたの周りにもすごいヤツっているかい?

まあ、オッサンともなれば実に多くの「すごいヤツ」と出会っているもんだと思う。

いろんなすごいヤツがいるんだけれど、例えば状況把握能力がエゲツないヤツとかいるじゃんか。
この状況に対する認識をそう整理するか!って思ったりすることもしばしばだ。

どうやったらその能力をゲット出来るんだろう?って思いつつ、どうしたら若者はこの能力を手に入れられるんだとも同時に思う。

今回は能力を取得する方法について考えてみる回だ。

俺たち自身も俺たちの周りのヒトもどうやったら力をつけられるのかって考えてみようぜ。

力を身につける考え方

ちっと見てみると、どうやら力を身につけるために最も必要なことってのは「失敗を経験として理解すること」らしい。

日本の最高学府って言えば東大だよな。
まあヒトによっては京大だろって言うヒトもいるとは思うけれどね。

で、その東大に入ったヒトが感じたのが「失敗を恐れないヒトが多い」ってことなんだそうだ。

ははぁん。失敗をマイナスと捉えるんじゃなくて、さらなる成功への道標って考えるってことか。

学びたいという意欲について考える

まあ、かのエジソンだって失敗は成功の母って言ってるくらいだから、その考え方は現実として機能するんだと思うんだ。

その前提で、考える。

俺たちは何で「学びたい」って思うんだってさ。

インターネットが日常に入り込んできてからこっち、俺たちは実に多くの「知らないこと」を知ることが出来ていると思う。

東南アジア諸国の国情なんてことを知りたいと思うことすらネットがなければなかったと思うし、アメリカみたいなメジャーな国についてだって、各州の法律がえげつないくらいに違うってことも知ろうともしていなかったと思う。

俺たちは無知の知ってやつを今までのどの時代よりも知る機会に恵まれていると思うんだよ。

でも、周りを見回してみるとその無知の知を捕まえに行こうとしているやつって結構限定的なんじゃないかって思ったりしないか?

いや、違うな。

無知の知のジャンルが細分化されているから、知ろうとしているジャンルも細分化されているってのが正しいかな?

つまり「学びたい」という意欲の方向性がバラバラだから、俺たちはお互いの学びの意欲ってのが理解できていないってことなのかもな。

興味を持てない無知

そこで考えてみる。

俺の興味をそそらない無知って何があるんだろう?

例えば調理方法。
俺は美味いものを食べるのはまあスキだと思う。
でも、食への興味が他のヒトと比べて強いかって言うとそこには自信を持てない。

コンビニのチャーハンは美味いと思うし、街角のラーメン屋も美味い。

世の中に提供されている食材はある程度美味いと本気で思うし、それゆえにそこへの感謝ってのもある程度ある。

でも逆に言えばその味に差別化ってのを意識できているかって言われるとそれほど自分の舌で何かを区別できている感じがしないわけだ。

叙々苑だってもちろん美味いけれど、吉野家だって美味い。
そこに値段の差と同等の価値基準の差ってのを見出す能力が俺にない感じ。

そう考えると、俺は味って分野に対しては無知であることの違和感を持てていないってことなんじゃないかって思うんだよ。

興味を持てていないという無知の知

これってさ。

「興味を持てていない」って言う無知じゃんか。

俺自身が食というカテゴリに対して無知なのは間違いないと思う。

そして、その食というカテゴリに対しての無知を俺自身が知っているにも関らず、そのカテゴリの知識を増やそうという意欲を俺が持てていないってことだ。

知らないのにだぞ?
知らない上で、俺はそのことについて「知らないでも良い」って判断しているってことだ。

そこには理屈もへったくれも無い。

でもさ。興味を持てないことに興味を持つキッカケってやつを俺たちはどうやって持てば良いんだ?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは失敗を糧にして何かを学ぶって意欲をどうやって手に入れれば良いんだろうな?

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