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年を重ねて放つ光

あんたは若いことが素晴らしいって感じることがあるかい?

この感じ方そのものが年よりの感覚だと思いつつ、若者を眺めるたびに「あとは任したぜ」と、もう命を使い果たそうとしているのか、お前は!と自分にツッコミを入れたくなるような感想を持ったりもする。

でも、それと同時にワカゾーだったころの自分と今の自分はどっちがスキだ?って自分に聞いてみる。

なんとなくだけれども、今の俺はワカゾーの自分より、今の自分の方が友達になりたい。
とんがりすぎてんだよ。ワカゾーの俺。

今回は年を重ねる価値ってのを考えてみる回だ。

ちっと、どうやって残りの命を使ってくか考えてみようぜ。

青春の意味

今回の年を重ねるって意味を改めて考えさせてもらったnoteがある。

俺のなかで勝手に才女だと思っているrikaさんのnoteだ。

この記事のなかで青春とはなんぞやということに触れてくれている。
なんでもサミュエル・ウルマンという舌を噛みそうになる名前の詩人さんがいて、そのヒトの詩をかの松下幸之助さんが、青春は希望と信念と勇気と活動って解釈したらしい。

俺が持ってるのはたぶん信念くらいなもんかな。

絵に書いたような頑固者ってやつだな。

ただ、ワカゾーの俺が希望と勇気をもって活動してたのか?って思い出そうとして見る。

………してないな。きっと。
希望と勇気じゃなくて無理と無茶で活動してた気がする。
なぜって?
そうするのが当たり前の世界観だったんだよ。

そこに主体性ってものがなくて、流されるままに「青春」してた気がする。

そのくせ信念という名の頑固さだけは持っていたからとんがり過ぎているってわけだ。

な?友達できなそうだろ?

年を重ねる意味

じゃあ、今の俺はどうなのか?

無理と無茶はあんまりしなくなった。
ってか出来なくなった。

すぐヘロヘロになっちゃうからね。

その代わり、周りのヒトについて眺める時間が増えている気がする。

あのヒトすげえな。
あのヒトの言っていることは違和感がある。
あのヒトの雰囲気スキだな。
今日もあのヒト元気そうだな。
あれ?あのヒトなんか忘れ物したのかな?

仕事仲間。
家族。
すれ違うヒト。
有名人。
そしてnoteをはじめとするネット上のヒト。

なんとなくヒトを見ることが増えている気がする。

そう言うヒトを見るということをしていることの影響かどうかはわからないけれど、俺が手に入れた感覚がある。

ワカゾーの頃の俺に比べると、俺は「普通」になれた気がするんだよ。

言葉を変えると、他のヒトとの共通語が増えたって感覚。

その分、希望と勇気を失ってしまったのかもしれないけれどね。
いや、もとから持ってなかったんだから良いのか。

今の俺はキラキラしているか

rikaさんはいつまでもキラキラしていたいと書いてくれた。

そうだよね。
キラキラするって素敵だもんよ。

じゃあ、俺はキラキラしてるのか?
まあ、控えめにいってキラキラしているわけないんだよな。

俺の放っている光ってのはもっとこう「ぬらり」って感じの光だと思うしね。

で、俺はその「キラキラ」と「ぬらり」のどっちの光がスキなのか。

なんとなくだけれど「ぬらり」の方が俺にあっている気がするわけよ。
ってかワカゾーの俺は「キラキラ」じゃなくて「ギラギラ」だったしね。

マジで上司に向かって公然と怒鳴り散らしながら批判するようなワカゾーだったし。
………しまった、今もたまにやってるな。

ええと、つまりだ。
「ぬらり」とした光。
よく日本刀の輝きに使われる表現だよな。

それが意味することは、その光の近くに「命」を感じるってことだ。

なんつーか、年を重ねるにつれて、リアルに「あ、俺いつかは死ぬんだ」ってのを感じる瞬間が増えている。

その感覚故にいろんなヒトの命の形ってのが目につくことが増えている気がするわけよ。

その命に目が行くってことそのものは俺にとって結構気に入っていることなんだよな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちが年を重ねていくことで放つ光は何色になりたい?

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