とある絵の物語
あんたは絵を見て物語を感じることってあるかい?
こんな絵を書いてくれる御仁の記事を見たんだよ。
エグくないか?
これを見たときになんでか分からんけれど涙が出てきたんだよ。
空に山に木々に水。
そしてそれに包まれている家と言うヒトの生活。
きっとその家からは元気に走って学校に行く子どもたちが居るんだろう。
そして、田んぼを日々汗だくになりながら手入れしている大人が居るんだろう。
子どもたちは「行ってきます」と大人たちに手を振りながら山を眺めるんだろう。
大人は子どもたちを見送りながら「さて始めるかね」と農作業を始めるんだろう。
今回は絵と言うものから物語を感じるってことを考える回だ。
まあ、なんだ。
オッサンの感受性に付き合ってくれよな。
絵に物語を感じるということ
かんざきかりんさんの書いてくれた絵を見せてもらった俺は、あっつーまにそこに息づくヒトの営みってのを考え始めたんだよ。
最初に目がいったのは水田だった。
こんな感じで水彩画で水って表現できるんだって技術にまず思いが行った。
で、その水田を手入れしているヒトって物語が俺の中に浮かび上がってくる。
微妙に正方形じゃない田んぼを見て、「もしかしたらトラクターとか入れて田起こし出来ないのかな?」と思った。
そして、家に目を向けるとトラクターを出し入れするような建物が見当たらない。
あえて言うなら左側の建物が納屋なのかな?
なんとなくだけれど、動力をともなった農機具が出てくる出入り口の大きさじゃないように感じたんだよな。
でも本当にきれいに定間隔で田植えされていることを見ると田植えの機械を使っているのか?
それとも、いにしえの技を使っているのか?
だとすれば、周辺の住人はお互いを助けながら生き延びているのか?
そんなことをさ。考えるだけで涙が出てきちまう。
物語の延長にあるものを想像する
でだ。
そんな想像を膨らませていくとだよ。
脳裏をよぎってしまうんだよな。
農協とかそういう大人の仕組みを。
ここに描かれているのは水田だけだ。
もしかしたら、この水田で収穫されたものは農協に買い取ってもらえることを前提に自ら販売することによって得られる利益を減らされているのかもしれない。
本当だったら、もっと多様な作物を育てることで土地の栄養価を維持できるのかもしれない。
本当だったら、その多様な作物によってブランドを作り上げることもできたのかもしれない。
本当にいろんな可能性があったなかで、水田はそこにある。
ただ、その美しい姿を残して。
これね。
そんなことを想像しているのは俺の勝手な解釈でしかないんだよ。
でもさ、その解釈で俺は涙が出てくるんだよ。
そこにいるヒトがだ。
生きるためにありとあらゆる工夫をしているって現実はおそらく世界中のどこにでもあるものじゃんか。
それはこの絵に描かれた農村だけじゃない。
俺みたいなシステム屋の日常だって同じだし、飲食を提供してくれるあんたも同じだし、銀行で窓口業務をしてくれているあんたも同じだ。
ありとあらゆるヒトが今を生きる工夫をしている。
そんなことをこの絵の向こう側に感じちまったんだよな。
そんなさ。
誰かが俺の知らないどこかで、俺の知らないやり方でだ。
努力し続けている。
あんたもそうだろう?
俺の知らないやり方や考え方で今を生きているんだろう?
なんつうのかな。
ありがとう。
それが今の俺の気持ちに一番マッチする言葉なのかもしれない。
なに?なんでお前にありがとうなんて言われるんだって?
そらそうだろう?
今俺が生かしてもらっている世界を作っているのはあんたなんだから。
そう思ってよ。
最初の絵を眺めてみてくれよ。
見えるだろう?家に住まうヒトたちが。
見えるだろう?そのヒトたちが育てている田んぼが。
見えるだろう?その田んぼに水を流し込んでいる山々が。
そのすべてに美しさってのを感じる心。
その心は何に動かされているんだ?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはいったい何に心を動かされているんだ?
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