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いじめという手段を使わずに団結する

あんたも人間関係ってやつについて悩み続けていると思うんだよな。

オッサンともなれば、人間関係が固定化されて安定しているのかっていうとなかなかそうも行かない。

なんつっても俺みたいなオッサンはどこまで行っても一兵卒。組織の都合でいつでもどこでもえいやっさーってなもんであっつー間に「新しい人間関係」ってやつの中に放り込まれる。

それでも人間関係を積み上げることの意味は依然として大きい。
それ故にヒトは周りに溶け込もうと努力する。

それが自然な行動ってやつだよな。

ところがだ。
この自然な行動を「自然だ」と学ぶには時間がいる。
特に子どもたちにとって、この学びを得るのは至難の業だ。

今回は、子どもの人間関係について考えてみる回だ。

ちっとオマイは正しくはない意見が出てくると思うんだけれども、そしたらコメントで知らせてくれよな。

いじめという状況

今回、この事を考える切っ掛けをもらったのがウーマンラッシュアワーの村本さんのこのnoteだ。

いじめに対して子どもが取れる選択肢はどれだけあるのか?ってnoteだって俺は読んだんだよ。

バットという暴力を持って抑止するのか?
無視をもって世界を断絶することで被害を防ぐのか?

はっきりとみんなわかってんじゃんか?
それらは解決方法にはならない。
でも、それと同時に「おまいらがこうだからダメなんじゃ」っていい切ることもできない。

多分、ヒトが組織で世界を生き残ってきたってのは事実で、その組織においては主従関係を維持するってのがものすごく重要な意味を持ってきたんだと思う。

その中で、その主従関係を裏付けするもの。それが力関係だ。
その力は血筋だったり、発言力だったり、腕力だったりしてきたわけだ。

つまり、俺たちがヒトとして生きる以上は「いじめ」って言う力関係を示す行為そのものは防ぎようがない。
っていうか完全にお互いに牽制しあわないで、結果として上下関係が生まれなかった組織ってのは力を持てない。
だって、10人が10人違う方向を向いて行動しているのでは、俺たちホモサピエンスという種族の特性を活かせていないからだ。

俺たちは協力し合うことで初めて力を発揮できる生き物なんだ。

そのためにはリーダーが必要だ。
リーダーを定めるために必要なもの。
それが力関係だってわけだ。

いじめではなくリーダーを選ぶ方法

でもそれでもだよ。

子どもたちがいじめを前提とした世界観で生きていくのは正しいわけはない。

誰かを傷つけるという快感にヒトは抗えるようにできていないんだ。
だからこそ、その行為を否定する「意思」が必要になる。

なのに依然として集団における上下関係ってやつは必要になる。
一致協力するって経験を積むためにもリーダーに従って行動するって経験を積むのはものすごく重要な教育だし経験だと思うんだ。

だとすると、そのリーダーに従う理由ってやつが必要になる。

しかも子どもが理解できる理由だ。

多分だけれども、それは「助けてもらった」って経験だと思うんだよな。

子どもは子どもなりにいろんなことに悩んでいる。
それは大人にとってはとるに足らないことかもしれないし、大人でも解決できないような悩みかもしれない。

その悩みを子どもなりに解決できるのか?
多分必要なのは解決じゃない。
手を貸してもらったという感覚なんだと思うんだ。

だとしたらさ、俺たち大人が子どもに言えるのはこれしかないじゃんか。

「友だちのために何が出来るか考えよう」

考えても見ろよ。
俺たちが子どものころに憧れていたヒーローたちを。

確かにゴレンジャーの必殺技は今見るとシュールすぎるし、怪人を倒して終わりってのはどうなんだって思うけれども、大抵が誰かの苦しみをなんとかしようとしての行動だったじゃんか。

いや、キレンジャーがカレーが好きとかそう言うのはどうでもいいんだ。

誰かを救うってことが自分自身に与える価値ってものを実感させることが重要だって思うわけさ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは子どもたちが力強く皆で協力していくために何を言うことが出来るんだろうか?

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