俺たちの幸せとヒトの幸せ
俺たち個々の幸せってやつは、何者なんだろう?
そんな事を考えたこと、あんたにはあるかい?
まあ、俺たちくらいのオッサンともなれば、幸せってやつに思いを馳せることは普通にあると思うんだよな。
今回は、個人の幸せへの思いとヒトの文化の動きってやつについて考えてみる回だ。
なんだか、高尚な話だとか思って引かないで見てみてくれよな。
個々の幸せ
突然だが、あんたは何をしているときに幸せを感じている?
昼日中から酒をかっくらってゴキゲンになっているときかい?
24見ながらハイになっているときかい?
ゲームやって無心になっているときかい?
その各々が幸せの形だよな。
もしかしたら、子供がなにか活躍した話を聞いた時や妻が活躍した話を聞くときも幸せを感じるかもしれないな。
俺は何にせよ感動している時が幸せな時だ。
物語に感動した時、誰かの努力が実を結んだと聞いて感動した時、食べたものが美味しくて感動した時。
すべての感動ってやつは俺たちが生きる目的に据えても不思議じゃない程の価値を持っていると俺は思うんだよな。
ヒトの幸せ
ではヒト全体としてはどうだろう?
ヒトの幸せってやつは、言葉としての定義がものすごく難しい。どう定義しても「なぜそれがヒト全体の幸せだといえるンだ」ってことを証明する手立てがない。
と言っても、そのまま「じゃあしゃあないじゃン」って言っても始まらない。
と言うか、このヒトとしての幸せってやつは定義できないことがその本質なのかもしれないな。
あえて、話をシンプルにするために生物学的に言うなら、ヒトは増えることを目的にしているはずだ。
すべての生物は子孫を残すことを目的に活動しているはずだからな。
ではヒトは今、幸せなんだろうか?
人口爆発は20世紀以降、ものすごい勢いで進んでいる。
ここにこんなグラフがある。
出展:Wikipedia
ちょっと引くくらいの人口爆発っぷりだろ?19世紀末から21世紀にかけての人口爆発は「指数関数的」といって差し支えないほどの増加ペースだ。
この意味で、ヒトは幸せなんだろう。
ヒトの幸せと俺たちの幸せ
では、この人口増加というヒトの幸せは何によってもたらされているのか?
つまりはなんで人口は増えているのか?
それは一言で言えば、科学の発展と言うことが出来るだろう。
ではこの科学の発展はなぜ起きたのか?って言うかなんで19世紀までは科学はこれほどに発展しなかったんだ?
おそらく、資本主義というノリで国家と科学が結びついたからだろう。つまりは科学が戦争で役に立つということが立証されたのが19世紀末だったってことだ。
実際、19世紀と20世紀ではテクノロジーが戦争に与える影響の桁が違う。
19世紀は局地戦が主だったが、20世紀の戦争は核ミサイルがちらついてくる。
そういう戦争とテクノロジーが組み合わさることで、飛躍的にテクノロジーは向上する。
実際、戦争で弓矢があたっただけで、感染症になって手足を切り落とさなきゃいけなかった所を、科学の発展は薬を活用した消毒により、防いでくれるようになったし、乳幼児の死亡率は劇的に改善している。
この勢いで行けば、アモータル(老衰で死ぬことがない状態)な人も出てくるかもしれない。
では科学の発展は俺たちに幸せを与えてくれているのか?
そこが難しい。確かに俺たちは医療の発展によって、ちょっとした風邪で死ぬようなことはないし、生活レベルも格段に向上している。
でも、19世紀の人たちに比べて俺たちは感動することが多くなっているか?
19世紀の人の感動について調べたことはないので正確には言えないが、少なくともこの人口増加のペースと同じように俺たちが幸せを感じる量が増えているとはとても思えない。
ヒトは何のために増えているんだろう?
そんなことを考えてしまうよな。
あんたはどう思う?
俺たちの世界はどうやら俺たちの幸せなんてものに興味は無いらしいぜ?
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