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課題と勇気

あんたは昔の自分の発信を眺めなおすことなんてあるかい?

俺はあんまり頻繁に見返したりはしていないんだけれど、たまに見返してみて「ああ、変わってね~」とか「おお、こんなこと考えてたっけか」とか思うこともある。

note運営さんから
#私の作品紹介
なるお題が出ていた。

学生の頃は小説とか書いていたけれど、今はほぼ書いていない。
俺の作品となると、日々書いているこのnoteくらいなもんなんだよな。

ということで、今回は俺の昔の投稿を眺めなおす回だ。

ちっとだけ昔の俺の気持ちを眺めてみてくれよ。


問題に立ち向かおうとしている俺

最初に眺めてみるのは2018年末に俺が考えていたことだ。

いやぁ、この頃はほとんど読んでもらえていなかったんだなぁ。
まだ、文体も定まっていない感じ。
まあ、その辺は勘弁してくれよな。

このnoteでは「ヒトのせい」にしない価値みたいなことを考えていたんだな。

基本的に考え方は変わってないな。
まあ、5,6年前だもんな。

この頃はまだ満員電車にギュウギュウ詰めになりながら職場に通ってたっけか。
朝は早めに出ればある程度回避できるけれど、帰りはどの時間帯に帰ってもギュウギュウ詰めになって帰ってた気がする。

あんまりにもギュウギュウ詰めになって、カバンの中の電子書籍端末の液晶が割れたこともあったっけか。

そんな中。
とある外国人観光客のグループがその電車の中に現れたことがあった。

彼ら彼女らはギュウギュウ詰めの電車に驚きながらも、どこかそれを楽しんでいる雰囲気があった。

それを見た俺は「ああ、ヒトってなんでも楽しめるもんなんだな」って思った記憶がある。

自分のせいにする意味

で、上の記事。

俺はその時「自分のせいにすることで仲間と一緒に自分の価値を作りこめる」と考えていた。

よくわからないって?

まず、問題が起きるじゃん。
で、普通の思考で行けば「誰が問題を作ったんだ」って考え始めるじゃん。
で、「あいつが悪い」って「決める」じゃん。
で、決められたヒトは委縮して仕事がままならなくなるじゃん。
結果としてチーム全体の生産性が下がるじゃん。

これはやばいやつだよな。

そこをだ。

問題が起きました。
で、「俺には何が出来たか」って考えるじゃん。
で、自分の中にあった課題が抽出されるじゃん。
で、それを仲間と共有するじゃん。←最重要
したら、仲間が一緒に課題について考え始めるじゃん。
結果としてチーム全体の生産性は上がるじゃん。

この流れにしたいわけなんだよな。

ヒトの否定

上の記事でも書いているけれど、自分の中の課題をさらけ出すってのは実に勇気が必要だ。

なにしろ自分がダメだってことを仲間に宣言することになるわけだ。

自分のことをダメだと言っているヒトと一緒に仕事するのはめちゃくちゃ不安になるもんな。

でも、さっきも書いた通り、自分の課題を共有することでチーム全体の生産性は上がるはずなんだ。

何しろ、その課題ってやつはあんただけの課題じゃないかもしれないじゃんか。
おんなじことで悩んでいる仲間もいるかもしれないじゃんか。

そこで必要なのは「課題の共有」なんだよな。

俺たちは問題があったときにどうしても「犯人捜し」を始めちまう。
そして、その結果として犯人にされたヒトはそのヒトそのものの存在を否定されてしまう。

このサイクルになると負のサイクルにはまり始める。

だから課題に目を向ける。
「どうすれば良かったのか」を考える。

PMBOKと言うプロジェクトマネジメントの教科書でも、プロジェクトの官僚後に必ずプロジェクトの振り返りをしなさいねってなっているのはそういう意味だと俺は思うんだよな。

でも課題の共有をするってのは実に多くの勇気が必要になる。

昔の俺はその勇気を「仲間からもらえ」と言っている。

そうだよな。
結局は仲間なんだよな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはどうやって仲間から勇気をもらえるような言葉を紡ぎだせるんだろうな?

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