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子どもたちの学力を評価する方法

あんたも子どもたちの学校行事に対して色々調整している親や先生や子どもの話を聞いたいたりするかい?

我が家の息子も小学生なので、やれ面談だのなんだのと学校の先生方とやり取りすることがまあまあある。

多くのことでは妻に頼っているのが実態だけれども、部分的に俺が動いて学校に働きかけることもある。

副校長先生と交渉をしたり、担任の先生に対して副校長先生との約束の実績がどう推移しているかとかを会話したり。
まあ、仕事みたいな感じだよな。

で、そんな一環で妻が保護者会に出向いていったんだよ。
そしたら、どうにも言葉として整合性が取れないような話をされたことがあったらしいんだ。

今回はそんな先生方の苦悩について想像を働かせてみる回だ。

まあ、その辺の親が感じていることをシンプルに感じてみてくれよな。

俺が感じた矛盾のある言葉

まあ、あれだ。
俺の妻は感情によって行動が結構左右されてしまうタイプの性格なので先生方が言った言葉をそのままに記憶して持って返ってきたのかってのは、現実的には正確性を担保出来るもんじゃないと思う。

その中でもだ。
ちっと俺としてはうまく理解することが難しい話があったらしいんだ。

「成績は絶対評価でやっているので、クラスによってどうしても違いが出ます」

おおう、意味が理解できない。

クラスごとに同じような学力なり体力を持っている子どもがいたとしても成績表で違いが出るってのが現実として生じるって言う歪があるってのはわかる。
なんつっても、評価をヒトがやっている以上は絶対評価って言っても、どうしたって偏りが出てくるのは現実だと思うからね。

そんなん、大人の世界だって同じじゃんか。

俺が理解できなかったのは「絶対評価」というのが「クラス間で成績に差が出る」理由だって言う説明方法だ。

いやいやいや、絶対評価って言うなら、その基準は少なくとも学年で共有されているからこその絶対評価だべよってね。

ちょっと先生の言葉の意味を想像してみる

妻としては先生をその場で吊し上げにしてもよろしくないってんで、その言葉の意図を問うってのはしてこなかったらしい。

ということで、ちょっとその先生の言葉の意図を考えてみる。

まず言葉として「絶対評価」って言葉を使ったってのが事実だとする。

この絶対評価って、結構難しい。
要するに学力やら体力を全部数値化出来るんですっけ?って話になるしね。

何?そんなのテストの点数で数値化してるだろって?

多分だけれど、算数や体育はやりようもあると思う。
要するに計算を正確に解けるとか、速く走ることが出来るとかそう言うやつだ。

でも、特に体育とかだと、徒競走とかでもともと50mを9秒で走ることが出来る子どもがいたとする。
別の子どもが10秒で走れたとする。

で、その9秒で走れる子が8.9秒で走れるようになったとする。
10秒の子は9.5秒で走れるようになったとする。

どっちの子が絶対評価として有能だって学校は評価するべきなんだ?

記録としては元9秒の子どもが優秀だし、伸び率は元10秒の子どもが優秀だ。

これどっちが評価されるのが子どもの成長にいい影響を及ぼすのかってのは一概には言えない話じゃんか。

で、そう言う子どもの成績評価ってのがめちゃくちゃ難しいって前提で考えてみる。

多分だけれど、そんな成績判断基準を学校で共有するってことそのものが無理ゲーなんだろうな。

無理なことを親に説明する無理

で、そんな無理ゲーな「絶対評価」って成績評価。

じゃあ、無理なら「相対評価」でやっているって言えなかったのはどう言う理由なんだろう?

相対評価にすると何が問題になるのか?

そもそも成績表を他のクラスまで含めて全部の子どもたちの結果を親が共有する仕組みは無い。

まあ、この個人情報保護の世界観では、そらそうだってなるやつだ。

なら、絶対評価だとか相対評価だとかを保護者会で説明する意図は何なのか?

ぶっちゃけさ。
「僕たちは公平にやってます」って主張なのか?

いや、相対評価が「公平じゃない」とは思わんのよ。俺としては。
むしろ絶対評価の基準を誰か一部のヒトの意図で作り上げることのほうが公平性を欠く可能性を高めちまうと思ったりもする。

いやあ、理解しようとしたんだけれども、実に難しい。

なあ、あんたはどう思う?

子どもたちの学力を「絶対評価」することはどんな価値を生むと思われているんだろう?

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