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俺たちが楽しんできたもの

あんたもゲームって好きかい?

俺も昔からゲームが好きでひたすらにやり込んでいたりするんだけれど、家族をもってからこっち、ゲームをやり込むってことが結構難しい状況になりつつあると思うんだ。

大画面でゲームをやっていると、家族がみたい映像をテレビで見られなくなってしまうので、その視線に耐えられない気弱なお父さんの俺様としては、なかなかゲームをやり続けるってのが難しいわけさ。
#言葉の強さベクトル迷走

今回は、そんな俺がゲームについて考えてみようって回だ。

俺たちはゲームに何を求めているのか。ちっと付き合ってくれよな。

原点になっているゲーム

多分、俺にとってのテレビゲームの原点ってなると木こりの与作ってゲームになるんだと思う。

いやぁ、懐かしいなぁ。カセットビジョン。

エポック社が出していたゲーム機なんだけれど、それまではゲームと言えば1種類のゲームしか出来ないものがメインだった。
ゲームウォッチみたいにね。

それが、ソフトのカセットだけ買い換えれば、いっぱいのゲームが出来るってのがその当時としては画期的だったんだよね。

まあ、そのゲームソフトもそれなりの値段だったので、結局は同じなのかもしれないけれどね。

で、その中で買ってもらったのがこの木こりの与作ってゲームだった。

動画を見てもらうとわかるけれど、ものすごいシンプルかつ著作権ってなんだっけ?って感じのゲームだ。
ひたすらに木を切り倒しながら、襲いくるイノシシにヘビに鳥の糞に木の枝を避けたり斧で殺傷し続けるゲームだ。

冷静に考えると木こりってそんなに命がけの職業なんだっけ?とかツッコミを入れたくなるね。

でも、少年俺としては、もお夢中になってこのゲームをやりまくった。
今よりも娯楽ってのがもっとシンプルだったんだよなぁ。

アドベンチャーゲームで味わう「冒険」

最初はゲームって言えば木こりの与作のようなアクションゲームしか俺の周りにはなかったんだよね。
ゲーセンに行けば、スペースインベーダーがめちゃくちゃ流行っていたっけ。

逆に言うと、このシンプルな世界観の行間を読みまくっていたんだよな。

ところが、時代は進み、アドベンチャーゲームってジャンルのゲームが出始めた。

元祖アドベンチャーゲームって言えばこのミステリーハウスだよな。

要するに家の中を動きまくってお宝を探すっていう、今で言うところの脱出ゲームみたいな感じだね。

それまではアクションゲームのシンプルな世界観を楽しんでいた俺にとって、アドベンチャーゲームの世界観の広がりってやつは、まるで夢のような体験だった。

なんつーんだ?パソコンの中に世界が作り上げられているような感覚。
今のすげぇゲームなら当たり前のような感覚かもしれないけれど、少年の俺にとっては、確実に世界が開けた瞬間だったんだよね。

俺がゲームにもとめていたもの

ゲームはアドベンチャーゲームからRPGへと推移して、シミュレーションゲーム、ノベルゲームとジャンルがどんどん増えていった。

いろんなゲームを遊んでいったけれども、どんなゲームでも共通して俺が楽しんでいたものってのがある。

それが「世界観」だ。

言い換えれば「物語」なのかもしれないね。

ウィザードリィでも、ティル・ナ・ノーグでも、その限定的な世界から読み取られる「物語」。そいつに俺は夢中になっていたんだよね。

そして、俺たちを取り巻く環境はものすごい勢いで変化し続けている。

ゲームの進化もとどまることもない。
その描き出す物語も深みをどんどん増している。

そして、ゲーム以外のものにも物語が伴い始めている。
一人ひとりの行動はSNSで発信され続けているし、企業の商品企画にも様々な物語が込められていて、その物語にアクセスすることも普通に出来る状況をインターネットは作り上げてくれた。

わかるだろう?
俺たちの周りには、俺たちを夢中にさせてくれる物語が溢れかえっているんだよ。

だとしたらさ。
俺たちは楽しむしか無いよな。この物語たちをよ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは無数の物語を楽しみながら、無数の物語を紡いでいけると思うかい?

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