丁寧なコミュニケーション
あんたもコミュニケーションにおける男女差ってテーマの話を聞くことがあるかい?
いつもお世話になっているshogoさんがこんな記事を書いていてくれていたんだ。
男女がコミュニケーションに求めている要素を表現してくれている。
男性はコミュニケーションにより結論を出すことを目的にして、女性は共感することを目的にしているってやつだ。
このことそのものは多くのヒトが実感するところだよな。
ところが、この違いってやつに対応するための手段ってのが実に難しいと思うんだよな。
今回は男女のコミュニケーションの目的が異なっていると言う現実を眺め直してみる回だ。
ちっとこの出口のない課題について考えてみようぜ。
shogoさんの結論
shogoさんは会話を男女間で「楽しむ」には、男性が聞き手に徹することが大切と言う結論を引っ張り出してくれている。
確かに、結論を出すことを目的としていないコミュニケーションを目指しているヒトにとっては、「聞き手」と言う存在があれば、円滑に目的を達成することが出来るようになるだろう。
でも、この手段は俺にとって若干違和感があるんだ。
何しろ、男女の会話における目的の差というものに対して、この手段だと女性側は一切工夫をすることをしないことになっちまうからだ。
って自分で書いておいて何だけれど、やっぱり男性、女性って主語がでかすぎて考えがあらぬ方向に向いちまいそうだな。
だって、女性だって結論に向かった話だって必要に応じてするし、なんならそのような白黒を明確にする話に心地よさを感じることだってあるだろう。
逆に男性もシンプルにおしゃべりを楽しみたいときだってあるだろう。
それこそご近所戦隊オクサマンみたいに「まあ、奥様。聞かれました?」バリにthe・世間話をしたくなることだってあるよな。
……なに?ご近所戦隊オクサマンってなんだって?
良いんだよ。ノリで分かるだろ?
#ってか分かれ
なので、ここは結論を出したい気分のヒトとおしゃべりを楽しみたい気分のヒトはどうやって折り合いをつけるのが良いのかって言い換えたほうが、より本質につながるような感覚があるんだよな。
気分の溝
でね?
おしゃべりを楽しみたいってヒトと話をする時に、どうしても俺個人としては受け入れがたい言葉が出てくることがあるんだよな。
「あなたはそう思うんだね」って言葉だ。
この言葉が出てきた時、俺は「ああ、このヒトは俺と一緒に考えをブラッシュアップしようとはしてくれないんだ」って感じるんだよ。
本質をとらまえていくための手段として、論理的に状況を整理しようとしているところにこの言葉が出てくると、そもそも「お前の考えに私は価値を見出していない」と言う死刑宣告にも似た鋭さを感じちまうんだよ。
こんなにも言葉ヅラとしては共感しているってことを全面に表現しつつ、その実としては「あんたとはわかり合えない」と言われているようなもんだからね。
しかもその「わかり合えない」と言う結論に至るまでの思考プロセスはだいたいすっ飛ばされていて、「そう感じるから」と言うだけで、この拒絶は起きてしまう。
「そう感じた」理由を考えてもいないから、当然相手にその理由を説明することも端折られる。
もしかしたらその理由の中に相手との接点を見いだせるかもしれないのにも関わらずにだ。
こいつはなかなかにヘビーだぜ。
丁寧に相手と自分の言葉を扱う
じゃあ、俺としては「あなたはそう思うんだね」という言葉のかわりになんて言ってほしいのか。
きっと「なるほど。◯◯ってことか。そいつは□□だなぁ」と言う「共感」の言葉なんだよな。
そう考えてみるとだ。
結論とおしゃべりってのは必ずしも水と油ってわけじゃなくて、ほんの少しの気遣いをお互いにしていくことで、円滑に進められるって側面もあるんじゃないか?
で、これはshogoさんの書いてくれた「聞き手に徹する」と言う手段と本質的な違いって無いのかもって気もしてくるんだ。
だってまずは相手の言わんとすることを丁寧に聞くところから始めようぜってことだもんな。
丁寧に聞かれたら、相手だって丁寧に言葉を自然に選ぶようになると思うしね。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは丁寧に言葉を扱うことから多くの幸せを手にすることが出来ると思うかい?
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