見出し画像

スキな作品が俺にくれるもの

あんたにも何度も繰り返し見たアニメってのがあったりするかい?

なんとなく見返しちまうアニメってのは新旧にかかわらずあるもんだけれども、オッサンとなった今となっては新作アニメに対して「よし見てみっか」と重い腰を上げる機会も少なくなってきている気がする。

SPY-FAMILYみたいな話題作はワリカシ見たりするけれど、同じ話題作でも推しの子は全く見る気が起きなかった。

いや、噂ではそれなりにヘヴィーな設定の元どーのこーのって言う要素もあり、ワリカシ俺好みの可能性もあるんだが、どうにもあのキャッキャウフフヒラヒラキュピーンな感じが受け付けられないんだよな。
#伝われ

ウマ娘も同じ意味で受け付けない。

女性が主人公の作品を受け付けないのかって言うと、そうでもない。
ちはやふるはオモロイし、NANAもおもろかった。アニメじゃなくマンガだけれどもBASARAもオモロイね。
ベルばらもオモロイか。

うん?どうも、俺は女性が女性として頑張っている姿ってのにあんまり魅力を感じないで、女性が男性社会の中でもがき苦しみながら前に進もうとしている姿がスキってことか?

今回は俺のスキな作品を取り上げて、そのスキな要素を因数分解してみようって回だ。

ちっと俺の趣味趣向の分析に付き合ってくれよな。

宇宙戦艦ヤマト

おそらく、この宇宙戦艦ヤマトと言う作品がなかったら俺はオッサンになってまでアニメを見続けるなんてことはなかったんじゃないかって言うくらい俺にとっての原点となる作品だと思う。

なんつーか宇宙の広さみたいなものを少年俺に植え付けてくれたんだよな。

今の俺の稚拙な宇宙に対する知識でも、当初の演出は結構おおざっぱな部分も散見される。
でもそれを補ってあまりある宇宙の多様性をガキンチョの俺に感じさせたわけだ。

恒星を伴わない惑星。
各々異なる性質を持つ恒星群。
大陸規模の大きさを持ったプロミネンス。

そこには冒険があった。

宇宙戦艦ヤマトといえば「愛」だの「戦争」だのというテーマが注目されることが多いと思うけれど、少年の俺にとってはこういう冒険そのものが魅力だったような気がする。

リメイクの宇宙戦艦ヤマトから感じるもの

で、満を持してって言って良いのかな?
宇宙戦艦ヤマト2199がリメイクとして2012年に公開された。
もうあれから干支が一周りしてるんだな。

で、このリメイク。
俺の感想としては実によく出来ていると言う感じがするんだよな。

オリジナルのTVアニメでガミラス側の司令官であるシュルツと言う人物の作画ミスで肌の色がガミラスの青ではなく、肌色になっちまっている回があるんだよね。

それをガミラスの星間帝国主義と言う背景にマッチさせて「多民族国家ガミラス」と言う奥行きに変えているなんてのは、なんつーかお見事としか言いようがない。

中でもリメイクで登場する「コスモリバースシステム」は実に業が深い。
今の時点で公開されている2205まで見ると、より意味が理解できなくなってくるほど複雑だ。

オリジナルの「放射能除去装置」ではこの深みは出せなかったと思うんだよな。

古代守はどこにいるのか?

何?何が複雑なんだって?

例えばだ。
2199でヤマトが地球に帰る途中では古代守はヤマトの中にあるコスモリバースシステムに居た。
そして、システムを利用して森雪の命をリバースさせている。

もお、この時点でお腹いっぱいなくらい「なんでよ?」が渦巻くわけだ。

おそらく、コスモリバースのコアとなる魂と魂の器たるヤマトにアンマッチが起きることによって、そのままでは地球全体のコスモリバースには届かないことを古代守は理解していたってことなのかもしれない。

そこでヤマトの魂そのものである沖田十三の魂に「お返しします」と言って魂の器たるヤマトを開け放つために自らの魂の使い所を、唯一の肉親である古代進の愛するヒトの復活に使った。

でも、そうすると2205でサンクテルの中で古代進の前に現れた古代守は何者だったのか?

生きることは変化し続けること。

2205の中で生前の古代守がスターシャに語ったとされる言葉。

つまり、サンクテルの中にいる古代守は「生きていない」ってことになるのか?

ほうら、複雑だべ?

この複雑さが俺の「冒険心」をくすぐるわけさ。

なあ、あんたはどうだい?

あんたのスキな作品はあんたの中の何を刺激してくれているんだろうな?

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?