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「考える」という行動

あんたも何かを発信するときに「考える」ってことを経由しているんじゃないかい?

実に日常的なこの言葉だけれど、似たような言葉に「悩む」って言葉もある。もっとライトなところだと「感じる」ってのもある。

この辺の言葉についてキッチリ分類するのって、実はあんまり言語化してこなかった気がする。

っていうのもね?
こんな記事を読ませてもらったんだよ。

今回はこの記事の中で紹介してもらっている「考える」と「悩む」の違いについて眺めてみる回だ。

ちっと改めて俺たちがやっている発信ってことについて整理してみようぜ。

深谷さんが紹介してくれた「考える」

深谷さんはこんなことを紹介してくれている。

大前研一さんは
「考えるとは、知識と情報を加工して
結論を出すことだ」
と定義されていました。

出典:上記note

この言葉はワリカシすんなりと腑に落ちた。

考えるからには「結論」が絶対に必要って整理の仕方だね。

そして、その結論を出すやり方としてはこんなふうに書いてくれている。

3つポイントがあります。
一つ目は「問い」
二つ目は「事実集め」
三つ目は「行動」

出典:上記note

なるほど。
考えることの入口としての「問い」があり、その問いに対する事実検証としての「事実集め」があり、その検証結果に伴った「行動」があるってことか。

自分の記事を眺めてみる

例えば昨日こんな記事を書いたんだよね。

建付け上はこんな感じかな?

「問い」
移民が増えることになると思うけれど、どんな環境が現状なのか?

「事実集め」
・移民って言葉は実は国際的には明確な共通認識がない
・一番メジャーなところで国連事務総長報告書にある12ヶ月外国に住んでいるヒトってのがあるらしい
・特定技能2号という在留資格がある
・特定技能2号の場合は家族を連れてくることが出来る
・ここで言う「家族」は「婚姻関係およびその子ども」であることと「扶養に入れている」ってこと

「行動」
上記の環境では、配偶者は下手に日本で働くと扶養から外れることになってしまう。
子どもは日本語を話せる必要がないが、日本語が話せなければ学校に馴染めないこともあるだろう。
義務教育はあくまで「日本人の親」に課せられた義務なので、子どもを学校に通わせないケースも普通にあるだろう。
ケアを間違えるとそのような子どもが徒党を組んでギャング化するって話もある。

これが移民を取り巻く環境だと考えると「発信」する。

つまり、一応は俺は「考えている」ことになるのかな?

「事実集め」を経由しない考える

と言いながらね?

例えばみんな大好ききゃらをさんのこんな記事もあるわけよ。

ぶっちゃけ読んでみてほしいんだけれど、実にファニーな感じで楽しませてくれる作りになっている。

で、この記事についての俺の感想は「実に考えられている」ってことなんだよね。

基本構造は「天丼」のギャグ構造を踏襲しつつ、アンパンマンという国民的に認知されているキャラクターをなぞりつつ、独特のタッチの絵柄で個性を出してきている。

そのどの要素も「考える」というプロセスを経由しないで作れるもんじゃないって思うわけ。

でもさ。
多分この記事を作るにあたって「事実集め」って作業は経由していないと思うんだよね。

あくまできゃらをさんの中にある知識、経験、センス、技能を駆使して作っているって印象がある。

そう考えると一周回って大前研一さんの定義のほうが考えるという言葉に対して汎用性の高い説明ってことになるのかな。

きゃらをさんの記事の場合の「結論」ってのは「これが俺の楽しいってことだ!」ってことだよね。

「悩む」俺の記事

そこまで整理してみて、俺の場合は結構「悩む」で立ち止まっている記事もある。

結論が出せなかったようなケースね。
結論が出せなかったって「発信」しているわけだ。

でもそう言う記事でもスキを貰えることも普通にある。

考えるキッカケにしてもらっているのかもしれないし、単純に俺がもがき苦しんでいる様を楽しんでくれているのかもしれない。

そう考えると、「考える」と「悩む」の違いって軸と「オモロイ」「オモロくない」の違いの軸ってのには直接の因果関係は無いってことなんだろうな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちの発信の「オモロイ」はどこに潜んでいるのかね?

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