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介護という仕事を考える

あんたも介護職員の人員不足ってのが深刻化しているってニュースを眺めていたりするかい?

少子高齢社会はもはや日本では止める方法が無いってのが実際のところだと思う。

医療の発達によって、平均寿命ってのは伸びているわけだし、ある程度の教育水準を施されている若者の晩婚化ってのはごく自然な流れだ。

晩婚化が進めば一人の女性が出産する子どもの数は減るわけだから、少子高齢社会ってのは多分政治がどう動こうとも揺るがない傾向なんだと思う。

となると、必然的に介護職って仕事に対するニーズは高まっていくわけだけれども、介護職員さんの給与って低いイメージがあるよな。

今回は介護という仕事について考えてみる回だ。

ちっと、今の世の中について考えてみようぜ。

介護職員さんの給与を眺める

まずは実体として介護職員さんの給与ってどうなってるんだっけって話からだよな。

このサイトによると、若干だけれども給与そのものは上昇傾向にあるらしい。

おお、そうなんだと思って読み進めてみると、いわゆる需給バランスで需要が増えたから供給側の価格競争力が上がって介護職員さんの給料が上がるって現象じゃないらしい。

よく考えてみたら介護報酬って厚生労働大臣が決めてんだから、本質的に需給バランスによる価格の変動ってのがないんだよな。

で、介護報酬を上げるとなると法律の立て付け上、介護保険料を値上げするコトになるから、厚生労働大臣としてもおいそれと上げてしまうと国民から総すかんくらうって構造だ

じゃあ、なんで介護職員さんの給与が若干上げられるのかって言えば、要するに国からの補助金を出してるからってことなんだそうだ。
まあ、この補助金をもらうための手続きもご多分に漏れずめんどくさいらしく、全部の介護事業者が受け取れてはいないんだそうだけれど。

これってなにげに深い闇じゃんか?

介護という仕事の難しさ

ここで改めて介護という仕事について想像を働かせてみる。

昔、在宅介護支援センターってところに向けたシステムを作ったことがあったんだけれども、ぶっちゃけ、俺の人生観に結構なインパクトを与えてもらった仕事だった。

多分、俺にとっては「利益のために働いていないヒト」と仕事をするのってその仕事以外はないんだよ。

明らかに介護に関わっているヒトたちって善意みたいな感情をもって仕事に取り組んでいたように見えたんだ。

当然、今よりも介護職員さんの給与って低かったと思う。
なかには元システムエンジニアって介護職員さんもいた。

給与としては不利になる仕事に転職なさった御仁ってわけだ。

つまり介護の現場はそういう善意によって支えられ、俺たちはその善意によって家族を守ってもらっているわけだ。

本来であれば介護というビジネスを成長産業として育成していく必要があるとは思う。
でもそのためには、負担増ってのは避けてとおれない。

そして、法律の立て付け上、介護報酬という売り上げは厚生労働大臣という「政治家」が決めることになっている。

政治家は人気商売だ。
人気を維持するためには介護保険料の値上げなんてことはおいそれとできない。

こうして、介護職員さんの給与は上がっているとは言え、非常に低い賃金に押さえ込まれているってわけだ。

どうよ、この闇深さ。

介護事業者の選択肢の狭さ

このなかなかの状況を眺めながら、介護事業者は企業としてどういう選択肢があるのか?

基本的に売り上げを伸ばすためにはマンパワーと設備を拡充するしかない。

ところが設備については投資対象が基本的に場所になると思う。
つまり土地だ。
こいつは投資金額としてはでかすぎるし、さっきも言ったように介護報酬は作業料に比例したものでしかないから、基本的に付加価値を追加するのが難しい。

となると訪問介護のような形で比較的マンパワーを突っ込めば良い事業形態を目指すところが増えると思うけれど、肝心のマンパワーも低い給与水準によって集めにくい。

で、どうなるか?

まあ、安い労働力を確保するってなったら、絶対に増えるよな。
外国人労働者ってのが。

いわゆるスキルではなくシンプルなマンパワーとして外国人労働者を増やすと、さらに介護職員さんの給与に対する下げ圧力が増すことになる。

これさぁ。

マジでエグくね?

俺たちは高齢化が進むなかで、さらなる善意を介護職員さんに求めていかないと社会が成り立たないって意味だぞ。

一時的に赤字国債で対応することはできると思う。
でも、本質的にはデフレをなんとかして、俺たちの可処分所得を増やし、介護の現場にお金が回るようにしないことにはどうにもならん気がするんだよな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは、この介護という仕事とどう向き合っていけば良いんだろうな?

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