自分とは違うヒトの仕事
あんたにも仕事仲間っているかい?
一人社長みたいな感じで仕事をしているヒトにとっても、色んな場面で社外のヒトと連携して仕事したりするとは思うから、ほとんどのヒトに仕事仲間ってのはいるもんだと思うんだよね。
そして、その仕事仲間ってのは結局は縁で組み合わされることばっかで、自分の好き嫌いで選ぶことが出来るのはレアだと思う。
それ故に、自分の認識外の発想をその仕事仲間が持っていたりすると、軋轢や衝突ってネガティブな状態を生み出すことも普通にあると思う。
今回は自分とは違う仕事仲間って存在について考えてみる回だ。
ちっと自分の仕事を振り返ってみようぜ。
仕事が嫌いなヒト
長いこと仕事していると、明らかに「このヒト仕事嫌いなんだろうなぁ」って思うヒトもいた。
明らかに言われたことだけやりますって感じで仕事するヒトね。
今どき、そんなんじゃ生き残れないでしょ?ってあんたは思うかもしれない。
でもその中の一人は俺なんかよりだいぶ先輩で、結構体にもガタが来ていて、いろんなことを諦めたようにしているようにも見えたんだ。
それと同時に、そのヒトにしか出来ない仕事ってのもあって、その仕事を淡々と進めている感じでもあった。
そう思ったからなのかな?
俺はそのヒトと一緒に仕事をして、そのヒトの知識をできるだけ表現してもらう様にしてみたんだ。
つまり、「俺という未熟者を育てる」って仕事をしてもらったってわけだ。
そしたら、ちょっとだけだけれど、そのヒトの笑顔が増えた気がしたんだ。
そのことが嬉しかった記憶があるんだよな。
やっぱ仕事って、楽しいところがいろんな場所に隠れていて、そいつを宝探しの様に探り当てたときの快感ってのがあるじゃんか。
そのことをそのヒトが思い出してくれたように思えたんだよね。
仕事の進め方が間違っていると思えたヒト
それとは別に、勤労意欲は抜群にあるんだけれど、その進め方とか判断とかが自分とは全く違うってヒトもいた。
当然違うんだから、コミュニケーションで妥協点を探るんだけれども、どうも根っこのところから意見が違うらしく、妥協点が見つからなかった。
なので、ハタから見るとそのヒトと俺はいつも喧嘩をしながら仕事している様に見えたらしい。
結構、周りから心配の声をかけられたな。
※ちなみにその時点での自分の直属の上司だった。
結局、そのヒトはプロジェクトから外れることになって自分とは距離を置く感じになったんだけれど、そこからはほとんど目があっても会釈もしないくらいに嫌われてしまった感じがする。
思うに、反省点として、俺はそのヒトのことを論破しようとしてしまっていたんだと思う。
そのヒトの説明が自分には全然理屈が通っていない様に思えちゃったんだよね。
なので、そのことを理屈で逃げ場をなくしながら話してしまった。
そのヒトの自由意志ってものがあるって「虚構」を打ち砕こうとしてしまったってことなんだろう。
と言いながら、今でもその時の状況でどんな仕事の進め方が出来たのかって振り返ってみると、きっと同じことしちゃったとは思うんだけれどさ。
でも、そのヒトの立場ってのを意識した話し方ってのを考える余地はあったはず。
そのことは諦めたくないなぁ。
明らかに優秀なヒト
ワカゾーの頃の俺は、下手げに周りから評価をしてもらったもんだから、「俺がやらなきゃ!」ってイキってたと思う。
その天狗の鼻をへし折ってくれるプロジェクトがあったんだ。
明らかに自分より仕事で成果を残しているヒトたちに囲まれて仕事をさせてもらえたんだ。
その時に思ったんだよ。
「あ、俺がやるより周りに任せた方が結果が出る」ってさ。
その時の感覚は今でも忘れない。
寂しいとか情けないと思うと同時にホッとしたんだよ。
それから俺はそのヒトたちのサポートを全力でやろうって思うようになった。
そうしたらさ、見えてくるのよ。
周りのヒトのスゴイところがさ。
それまでは「何で出来ないんだ!」って思っちゃうことが多かったと思う。
でも実際は自分には出来ないことを誰でも持っているってことが見えてきたんだよね。
それは俺にとって宝探しを達成した瞬間だったのかもしれない。
なあ、あんたはどうだい?
あんたとは違う誰かから何を受け取っている?
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