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「正義の味方」の怒り

あんたも怒りに身を任せることがあるかい?

人間、誰だって怒りに身を委ねたくなってしまうことってあるよな。
でも、その怒りが「正義」とセットになるとちょっとばかり厄介なことになる。

今日はそんな正義の話をしよう。

今朝のことだった。いつも通りの電車に乗ってザ・サラリーマンな俺は仕事場に向かっていたわけよ。

その電車の中で一つの事件が起きた。電車に乗り込んできたおっさんと初老のおっさんが電車の入り口でちょっとぶつかったようになった。

最初、初老のおっさんのほうがよろけたような感じになって、反射的に初老のおっさんはおっさんを手で押して電車の座席に押し倒すような形になった。

ううん、おっさんが多すぎてよくわからないっって?

じゃあ、中年が老人を肩で押して、老人が怒って中年を座席に突き飛ばしたってのなら通じるかね?

普通ならそれでひと睨みしあって終わりなんだろうけど、この中年は食って掛かっていった。

中年「あなた、今の故意ですよね?」
老人「お前が押したらからだ!」
中年「私が押したから押した。つまり故意ですよね?
わかってます?あなたがいましたことは傷害罪ですよ?
新宿で降りて警察署に一緒に来てください」

まあ、朝っぱらからうざったいことこの上ないわけだが、最後は老人が中年に謝罪して終わった。

と、まあこの事自体はよくある小競り合いだよな。

で、この事を見ていた俺は考えた。
なんでこの中年は老人をそこまで攻め立てたんだろう?
なあ、あんたはなんでだと思う?

相手が弱そうだったから?
自分が押し倒されてムカついたから?

俺はちょっと違うように考えた。

この中年は自分に正義があると確信していたから老人を「悪」としてさばきたかったんじゃなかろうか

正義ってのは、この世の中を整えていくための概念の一つだ。

正義に則っていれば、社会を乱すことなく個が生きていくことが出来る。そんな社会との契約みたいなもんなのかもしれない。

人を殺してはいけない、物を盗んではいけない、誰かに迷惑をかけてはいけない。

本当であれば、正義ってのは、それ単体で「こうあるべき」って定義されるものなのかもしれないが、俺たちの正義の実態は「○○してはいけない」の塊で表現されている。

なぜか?

ひとは正義を正確に定義できないからなんだろう。だからそのかわりに作り出したわけだ。「罪」ってやつを。

で、さっきの中年は法律に照らして相手の「罪」を確信した。

確信した以上は相手は排除すべき「悪」だ。「悪」は更生されなければならない。そうでなければ社会を脅かしてしまう。

かくして、その中年は正義の味方になったってわけだ。

でもさ、俺は思うわけだ。どういうわけか、この正義の味方、ちっともかっこよくない。

中年の言っていることは正しいのかもしれないし、老人に非があるのは割と明確だ。

でも、この中年はかっこよくない。っていうかかっこ悪い。
なんで俺はそう思ったんだろう?

いろいろ考えてみたが、きっと俺にはその中年がスネ夫に見えたんだと思う。

正義というジャイアンのちからをバックボーンに悪いのび太をいじめるスネ夫。

いや、確かにのび太は悪いことがあるよ?でもだからといってスネ夫をかっこいいとは思わないよな?

何故か?きっと「正義」という他人の力で戦っているからなんだろう。

じゃあ、自分の力ってなんなのか?

なあ、あんたはどんな力を持っている?
その力は誰を幸せにできている?

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