10年前のあの日を振り返る
あんたも3.11からの10年間ってやつを振り返ってみたりしているかい?
10年前の3月11日。
俺は東京の文京区にある職場で仕事をしていた。
ちょうど打ち合わせをしていたときだったことを今でも思い出すんだよ。
当時はビルの13階だったかな?結構高い場所だったので、余計に揺れが激しかった記憶があるんだ。
壁にヒビが入り、所によって天井が落ちてきて、みんなが戦々恐々としていたところに、俺は一旦落ち着くために仕事を続けていた。
今回は10年前のあの日のことを思い出してみる回だ。
一介のサラリーマンの非日常に付き合ってくれよな。
公共交通機関は沈黙
まず当たり前だけれども、公共交通機関は軒並みストップしていたので、俺は仕事を定時で終えてから、歩いて帰ることにした。
今どきは、無理やり帰るとこのあと書くような混乱をもたらすからできるだけ宿泊施設を現地で確保して、帰らないことを考えたほうが良いって言われているけれども、当時はそんな経験を誰もしたことがない状態だったんだよ。
まあ、歩く事そのものは散歩好きとしてはやぶさかでなかったので、てくてくと家に向かってあるき始めた。
結果としては5時間くらいの時間をかけて歩いていくことになるんだけれども、そもそもそんな経験をしたことがないのでそんなに掛かるとは夢にも思っていなかったんだ。
でも、この特別極まりない状況の街を直接自分の目で見ることが出来たのは貴重な経験だったのかもしれない。
街の様子
巣鴨にある職場からまずは自宅に向かって行くために早稲田方面を経由して新宿方面を目指す感じだろうって思って歩いていた。
歩いていたときの印象としては、ひたすらに黙々と歩くヒトたちが多くいたってことだった。
誰一人騒ぎ立てていない。
黙々と歩いている。
繁華街に入ると、たしかに「無理やり帰ってもしかたねーべ」って感じで飲み屋はごった返していたけれども、それはそれで景気の良いことだって思ってみていたんだ。
一番印象深かったのが新宿近辺についたときだった。
車道は車が身動き取れない状態になっていて、その中には救急車も含まれていた。
その様子を見て思った。
ああ、移動を一気にしようとすると救えるはずの命が奪われていくことになるってさ。
俺のように歩けば問題ないだろうって?
新宿近辺では、歩くヒトですら身動きがとれないくらいにごった返していたんだぜ?
これじゃ、駅で急病人が出たとしても、手の施しようがない。
歩いて帰るにしても「駅」というようなランドマークを経由するってのは、誰かの命を奪う可能性があるって考えたほうが良いのかもしれないね。
もしあんたが、職場で被災したときのために泊まれる場所を複数チェックしておくのが良いんだと思うぜ。
ヒトの優しさを目の当たりにする
そんな混沌とした新宿でも、やっぱり多くのヒトは黙々と歩いていた。
あまりに多くのヒトがいたので、歩道ですら身動きが取れない状況だったんだけれども、それでも黙々と歩く。
多分、俺を含めて思考を停止してしまっていたのかもしれない。
もちろん、暴動みたいなことが起きるのは論外だけれども、その場で誰かに体調不良が起きたらどうなるのか?とかは考える余裕がなかった。
そんなときに電話がかかってきたんだ。
当時、今住んでいる我が家を建てていた時だったんだけれども、その建設会社の営業さんからだった。
曰く、帰るのに困っていませんか?
車で迎えに行きましょうか?
って内容だった。
そんな気遣いをしてもらって痛く感動をしたのを覚えている。
ただ、新宿のカオスを目の当たりにした直後だったので、車でこの状況に来るのは自殺行為だってことも分かっていたから、丁重にお断りをしたんだよね。
あの営業さん、元気かなぁ。
で、テクテクとあるき続けて、ようやく住宅街に抜けたところで、また別の優しさがあった。
だいたい夜の9時ころだったと思う。
地域にお住まいの方だと思うんだけれども、おにぎりを作って通行人に配っていらっしゃったんだ。
もう4時間もあるき通しで足がガクガク言うくらいに疲弊していたところに、その優しさは来るものがあった。
俺はまだ余裕があるから、もっと厳しいヒトにと思ってそのおにぎりを受け取ることはしなかったんだけれども、せめてそのことを声がけするくらいのことはしたほうが良かったよな。
疲れ切ってしまっていた俺は、ただ無言でその前を通り過ぎてしまったんだよ。
ただ一言、ありがとうと言えなかった。
そいつはこの10年、俺の中に後悔として残り続けている。
なあ、あんたはどうだい?
あの日の混沌の中で、あんたが経験したことって何だった?
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