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デジタルデバイスと自己境界線

あんたもデジタルデバイスとともに日々を過ごしているかい?

実際ここ10年だけ見ても俺たちを取り巻くデジタルデバイスってのはメチャクチャ変化を遂げているわけだ。

携帯電話ひとつとっても、10年前には普通にガラケーだってあったし、なんならPHSも普通に使われていた。
iモードなんで言葉もあれば、FOMAなんて規格もあったよな。

それが今、スマホが当たり前の様に日常に溶け込みながら、更に折りたたみ携帯へと回帰していっているらしい。

この記事はおなじみの書道家りおんさんのnoteだけれども、技術革新を肌で感じてきたヒトの感想としてすなおに読めると思うから読んでみてくれよな。

今回はそう言うデジタルデバイスが俺たちの生活に溶け込む意味について考えてみる回だ。

ちっと俺の妄想に付き合ってくれよな。

サイバーパンクという世界観

俺がワカゾーだったときに流行った世界観にサイバーパンクってのがあった。

広く言えば攻殻機動隊はサイバーパンクってのになるのかな?

色んな要素があるとは思うんだけれども、話の根っこにあるのは情報とヒトトの関係性ってことにあるんだと思う。

攻殻機動隊の場合は究極的にヒトの体を機械にしてしまうことで、様々な情報と脳が直接アクセスできる状況になっている。
このことによって「ゴースト」と呼ばれる自らの存在そのものに対する実感が薄らぐって世界観だ。

自己境界線が曖昧になるって言い方にも近いかも知れないね。

自己境界線を形作るもの

じゃあ、今の俺たちにとって自己境界線は保たれているだろ?
だって機械で世界の情報に直接つながっているわけじゃないんだから。
そう、あんたは思うかも知れない。

ところがだよ。
俺たちの自己境界線をあやふやにする状況ってのは確実に浸透していっているわけだ。

上のサイトによるとヒトの世界認識において、「関心の輪」と「選択の輪」ってのがあるってことだそうだ。

世の中にある無数の情報に対して関心を持てる範囲が「関心の輪」。
選択ができる範囲が「選択の輪」なんだそうだ。
そして「選択の輪」は必ず「関心の輪」の中にある。
知り得る情報の中で自分がなにかチョイスできることには限りがあるってことだね。

で、こっからがオモロイ。
「選択の輪」と「関心の輪」の境界線が揺らぐとヒトはストレスを抱えてしまうってんだよ。

例を考えてみるとわかりやすい。
「なんであいつ、こうしないんだよ」って思うのは「選択の輪」を飛び越えてしまった感覚なんだそうだ。
だって、その選択は「あいつ」の権限下にあることなんだもんな。

つまり自己境界線ってのはこの「選択の輪」ってものを認識することで保たれるってことなんだって。
なるほどねぇ。

デジタルデバイスによる「関心の輪」の増大

で、話をデジタルデバイスの発展に戻してみる。

りおんさんの言う通り、デジタルデバイスの発展はえげつないものがあると俺も思う。

それは同時に俺たちが持つ「関心の輪」が俺たちの意思を通り越して広がっていることを意味している。

それが示すもの。
俺たちの「選択の輪」の境界線が曖昧になる可能性が高まっていることを意味していると思う。

想像してみてほしい。
インターネットがなかった状況での俺たちがするべき選択と、今の俺たちがしている選択。
どれだけの差がある?

例えばこんなことを前に書いた。

この記事では南アフリカに対して農業を通じた投資ができるってことを書いている。ネット経由で南アフリカの農業発展に寄与しつつ、リターンを得ることが出来るってやつだ。

これなんてインターネットが存在していなかったら絶対に成立しないやつだ。
それでも成立している現実を捉えてみると、俺たちの「選択の輪」は確実に広がっていることを示唆している。

でもさ。
その「選択の輪」に対する認識は正しいのか?
そんなことを誰も証明できなくね?

あいまいなんだ。
俺たちの存在って認識そのものが。

そもそもの自己境界線の認識があいまいな中で、デジタルデバイスの進化は俺たちが触れる世界を確実に広げ続けている。
その事実が意味すること。
俺たちは自分がコントロール出来ない状況のまま、俺たちの自己境界線が広がっているのを指を加えてみているしか無いって事実だ。

無制限に広がる自己境界線。その不安定な自己境界線は俺たちに無限のストレスを与えることになる。

そんなのに耐えられないってのは現実だとして、ならどうするんだ?
俺たちは俺たちの自己境界線を決めきって、この変化し続ける世界を無視するしか無いのか?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは「自分」を決めきって防壁を作るのか?
それとも無限に迫りくる選択のストレスと戦い続けるのか?

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