変化する必然と変化しない価値
あんたはオッサンになることで自分の発言力ってやつにものすごい気をつけないといけないって実感しているかい?
自分がワカゾーだったときのことを考えると、先輩方の発言ってのは正に神のごとく揺るがし難いものだった。
それだけ先輩方の経験値ってのは意味がデカかったんだ。
ところが、ほんの10年とか20年ぽっちの時の経過で状況は激変した。
どのくらいの変化だって?
数年前の経験値が意味をなさないって思うくらいの激変だ。
2020年に起きた変化はその象徴的なものだとは思うけれども、それはあくまで象徴でしかない。
俺たちは変化のスピードに対応していかないといけないってことを思い知らせてくれただけなんだ。
今回はそんな変化のスピードについて考えてみる回だ。
まあ、ロートルの悲鳴に付き合ってくれよな。
同じ職業を続けられる世界
まず、大前提として今の若者は間違いなく同じ職業を定年まで続けることは不可能に近いって話がある。
それが何故か?
俺たちが同じことを続けることで利益を得続けることが難しいからだ。
俺の中で飲食業ってのは消えることはない職業だと思ってたんだよ。
だってそうだろ?
俺たちは食べることも飲むこともやめることはできない。
そして、その飲食という場で実に多くの人間関係というものが成立してきた。
ところが、今の状況ではその飲食業こそが大ピンチに見舞われている。
こんなことを数年前に想定できたヤツがいるんだろうか?
いるわけないよな。
そんだけ時代の変化ってのは物理的にも観念的にも変化のスピードを上げているってわけだ。
変化する世界のニーズ
で、その変化ってのが世界の必然だとして、俺たちはその世界が望むものに答えていくしかない。
でなければ、需要と供給の関係性がおかしくなっちまうからね。
それがどんなことを意味するのか?
俺たちは俺たちの仕事を千変万化させていかないと生きていけないってことだ。
少し前であれば、その変化のスピードってのは世代で共有できるほどのものだったんだと思う。
だからこそ1億総中流なんて幻想的な世界観を作り上げることができたわけだ。
ところがインターネットの出現によって俺たちが流通させる情報の量が指数関数的に増えた。
そして、情報の流通量に比例するように世界は変化のスピードを早めた。
結果として俺たちは「同じである」という価値観を失ってしまったわけだ。
変わらない価値
でもさ。
俺たちが変化する世界に対応していかなければならないのが事実として、「変わらないこと」ってのにまるきり価値が無くなってしまったんだろうか?
あんたの感覚にも聞いてみてほしい。
きっと答えは「No」だろう?
あんたがあんたでいることを求めているヒトがいるって感覚があると思うんだ。
もしかしたら、それはあんたが挑戦し続ける姿勢ってやつかもしれない。
そうだとしたら、あんたは変わり続けているわけだから、「変わらないこと」の価値じゃないってあんたは思うかもしれない。
でもさ、そうじゃないべ?
あんたが変わり続けているのはあんたがあんただからだべ?
その変わり続けるっていうあんたの変わらない姿勢をあんたの周りのヒトは期待し続けているんだべ?
もうそうなってくると禅問答になるけれども、言いたいのはあんたがあんたでいることそのものに価値があるってことだ。
少なくともあんたの周りのヒトはあんたにそれを求めているって何かだ。
俺たちは時代に合わせて俺たちを変化させなければいけないってのは多分事実だろう。
その上で、あんたに求められているのはあんたがあんたであるってことだ。
そいつを見失って、あんたがあんた自身を変えてしまったときに、あんたの周りに今までいたヤツが消えていく。
そんなの悲しいじゃないか。
だからさ。
俺たちはキチンと理解してなきゃいけない。
俺たちが何者なのかってことを。
俺たちが何者だと思われているかってことを。
何?
おめーは何なんだって?
そうだなあ。
小理屈こねてくだまいてるオッサンってところか?
それか
寂しがって誰かと話したがっているオッサンか。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは俺たちが何者かってことを言葉に出来ると思うかい?
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