コミュニケーションを進めたい自分
あんたは仕事でのコミュニケーションに不安を覚えることがあるかい?
リモートワークでただでさえコミュニケーションが取りにくいのに、英語でのコミュニケーションなんて言ったら、絶望的にコミュニケーション量が減るんだよな。
で、ふと思うんだ。
あれ?なんでコミュニケーション量が減るんだ?ってね。
今回は、コミュニケーションを取るための心理障壁について考えてみる回だ。
ちっと、俺たちの中にある潜在的なハードルについて考えてみようぜ。
仕事におけるコミュニケーションハードル
まず、最初に考えてみたいのが仕事のコミュニケーションってやつだ。
仕事なので、なんかしらの目的を持ったコミュニケーションなんだけれども、実は結構厄介な代物だ。
あんたも自分の仕事に集中しているときに、「あの~」とか言って仕事を中断されたことってあるだろ?
あれって、相談を持ちかける方にとっては成果につながるコミュニケーションだと思うんだけれど、相談を持ちかけられた方にとっては、自分の作業能率をめちゃくちゃ下げる行為なんだよな。
その意味では電話ってホント暴力だと思ってたよ。
相手の都合お構いなしに問答無用で作業を中断させるわけだしね。
電話がメインコミュニケーションだった頃に比べれば、今はだいぶ良いようにも思えるんだけれども、チャットツールによるやり取りによって、コミュニケーションの単位が細かくなっただけで、仕事を中断されるってのはあんまり変わらないのかもしれない。
むしろ、相手に相手の顔が常に見えていないから、「あ、いまあのヒトの仕事が一段落したところかな?」って推測が出来ないから、ある意味仕事を中断されるケースは増えているかもしれない。
そう考えると、相手に声をかけるハードルはリモートワークが始まる前に比べると高くなっているってことなんだよな。
プライベートにおけるコミュニケーションハードル
プライベートのコミュニケーションも、ニューノーマルな状況になってから直接あって話すってことがめちゃくちゃ減っていると思う。
政府の方針で行動抑制をしないことが前提になってはいるけれど、毎日の感染状況ニュースを見ると、どうしても腰が引けている自分がいる。
ただでさえ、加齢による体調不良が増えている中で、マジでヤバイ事になりかねない感覚もあるしね。
プライベートのコミュニケーションってのは、仕事のコミュニケーション以上にハードルが高い。
なんつっても必然性という免罪符がまるきり無いんだもんよ。
いくら自分が「あのヒトと話したいなぁ」って思っても、それは自分のエゴでしか無い。
そして、相手も同じように自分と話したいと思ってくれていても、それを知るすべがない。
これ結構エグいよな。
出口が見いだせない感じが半端ない。
コミュニケーションハードルを低くする
とは言えだ。
ヒトという生き物はヒトとの関係性で生きる生き物だ。
コミュニケーションは生きるために必要なものってわけだ。
ならその障壁となるハードルは下げる努力をしないとマズイわな。
仕事のコミュニケーションなら、必然性という免罪符をどうやって相手に与えられるかってことだよな。
ならばやり方はシンプルだ。
要するに関わる仕事を増やせば良いんだ。
仕事に関わっていれば、必然的にその仕事に関するコミュニケーションは増える。
仕事にかかわるってのは必ずしも担当するってことじゃなくても良い。
仲間が何かで困ってたら積極的に声がけする。
自分が困ってる時じゃなくてね。
逆に自分が困っていることは共有されている掲示板やらチャットチャンネルで共有だけしとく。
あえて隙を仲間と共有する感じだな。
そしてプライベート。
こっちはさらに難易度が高い。
こればっかしは、自分から何かのイベントを企画するとかで接点を増やしていくしかない。
でもイベントにのってくれる友人もいないのが普通だから、結構心にくる作業だよな。
花見だとか花火大会だとかのきっかけがあればまだやり易いけれど、このご時世、リアルイベントはあんまりのってくれるヒトは少ないかもしれない。
ってか俺自身、この手のイベントって苦手なんだよなぁ。
かといってオンラインでのイベントなんてもっとハードルが高い。
なんつっても、俺と時間を消費してでも楽しみたいって思わせる自信が丸でないもんよ。
困ったもんだ。プライベートの方はまるで解がないぞ。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちの命の綱であるコミュニケーションをどうやって続けていけば良いんだろうな?
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