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立体的な感情表現

あんたもなにかの表現をしているかい?

noteでの発信をしていると、当然だけれども他の誰かのnoteを読むことが多くなると思う。
実に多様な価値観と表現方法で表現されているnoteたちを、自分のジャンルって枠組みなんか飛び越えて読んでみたりもする。

俺の表現は俺の色に染まっているように、誰かのnoteは誰かの色に染まっている。そりゃそうだ。それが個性ってもんだ。

そして、その個性ってのを凌駕して圧倒的な存在感ってのが表現されていることもある。

表現方法なんて生ぬるい表現じゃなく、ただその存在がかたわらにいるかのような存在感。

今回はとあるnoteを読んでみて、その存在感に圧倒された俺の感情を綴る回だ。

ちっと俺とその存在感に酔いしれてみないか?

まーちゃんは自分と他人について考えた

今回、俺が圧倒的な存在感に惹き込まれたnoteがあったわけよ。

蒔野さん。まーちゃん。
株式会社NISHINOのインターンって続けていらっしゃるんだっけ?
どうも、今はドイツに留学なさっているってことらしい。

彼女の学力レベルの高さは言うに及ばずなんだけれども、このnoteでは彼女の存在感がメチャクチャストレートに俺に届いた気がしたんだよ。

なんでこんなにストレートに感じられたんだろう?

あんたにも読んでみてほしいわけだけれども、まーちゃんは圧倒的な多様性が日常になっている学生街で暮らしているんだそうだ。

全く違うジャンルの学びをしている隣人たちに囲まれながら、その違いを楽しみ、その違いに劣等感を感じ、その違いに優越感を感じ、その違いに敬意を払っている。

読んでみてもらえばあんたも感じると思うんだが、ネガティブな感情もポジティブな感情も「誤解なく」伝わってくる気がするんだよ。

例えば日本は他国に比べて非常にビザが取りやすい。
飛行機のチケットが取れれば、ほとんど何処の国にでも行ける。
そのことが自分個人の力ではないことは当たり前のように感じつつ、その優位をなんの努力もなく手にしていることに違和感を感じている。

ここに感情が直に感じられる要素があるような気がするね。

同じ事実に複数の感情が同居する

俺が感じたのは、一つの出来事に同時に色んな感情が湧き上がるって表現のリアルさだった。

日本は色んな国のビザを取りやすいって事実に対して、「日本ってスゴイ」って感情と「自分は何もしていない」って感情が同居するってことを書いてくれているわけだけれども、その同居っぷりがメチャクチャリアルなんだよな。

例えばさ、仕事仲間がポカしたとするじゃんか。
そのときに「な~に~!!やっちまったなー!」ってクールポコよろしく感じるのと同時に「かわいそうに」って仲間を気遣いつつ「俺ならリカバリできる」って優越感を感じて「やべ、面倒なことになりやがった」って感じるみたいにさ、俺らは多くの感情を同時に感じているってのが実態なんじゃないかって思わないか?

それを言葉にしようとすると、どうしてもその中の一つの感情に焦点を当てて表現するってのが普通だと思う。

でもさ、実態としては同時に複数の感情が俺たちの中にあって、その感情を表現しようとしなければ、その複数の感情は分かたれることすらなく、渾然一体として俺たちの中にある。
それがホントのところなんじゃないかって思ったりしないか?

まーちゃんの文章は、その渾然一体となった感情をストレートにそのまま分析するでもなく、かつ彼女の持つ元来の聡明さで感情を切り取る断面みたいなものを直感的に判断している。
そんな風に感じたんだよね。

文章ってのは一方の面からしか表現できない。
いわば二次元での表現だと思う。
でも本来の感情ってのは三次元的に存在していて、その一面を切り取る必要がある。

まーちゃんの文章は、二次元での表現を多方面から組み合わせることで三次元の感情を表現したように読めたってわけだ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはこんな風に三次元の感情を表現することが出来ると思うかい?


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