年賀状がつないでいたもの
この時期になるとあんたの家でも恒例の行事っていうか、こなさなきゃならないことが結構あるよな。
その中でも、ちっと頭を悩ませるのが年賀状だ。
お世話になっている方や、親戚の人々に今年一年はこんな感じでしたよ。
来年はこんな事考えてますよってなことをはがき一枚で表現する。
しかも、家族全員の表情がわかるようなものにしなけりゃならないし、なおかつ干支的なものも入れたほうがいいケースもある。
そんなこんなで、とりあえずのドラフト版を作るわけだが、俺にもまして年賀状作りに対して腰が重いくせに、出来上がりに文句だけ言ってくる我が妻と折衷案を作り上げる。
まあ、なんとも面倒な作業だよな。
今回は、そんな年賀状についてちょっと思いを馳せてみる回だ。
まあ、ちっとばっかり面倒だとは思うが、付き合ってくれよな。
年賀状の歴史
なにやら歴史を紐解いていくと、年賀状の期限は平安時代にまで遡るそうだが、当然ながら庶民レベルまでこの年賀状ってやつが普及するには、日本は近代化ってやつを待つ必要があった。
何しろ、明治4年(1871年)の郵便制度開始までは、手紙を出すってのは、ものすごいお高い行為だったんだよね。
例えば江戸から大阪に飛脚を飛ばして速達で届くようにすると、だいたい18万円くらいの費用がかかったってことらしい。
※手紙を送るのに銀700匁で1匁が3.75gで今日の銀相場が1gあたり68.42円で計算
まあまあの高級品ってわけだ。
なので、年始の挨拶程度で気軽に使えるもんじゃあないってわけだ。
でも、本質的に手紙で情報交換をしたいってニーズはあったから郵便制度開始とともに手紙という情報伝達手段は日本に受け入れられてきた。
最初は東京大阪間だけだったのが北海道も取り入れられ、1873年には全国に届くようになったってんだから、その時代としては、破竹の勢いって言っていいだろう。
そして、そんな郵便制度にも日本のアミニズム的な信心深さが出てくる。
すなわち、「元旦の消印はおめでたい」って感覚だ。
当時は今のような年賀はがきを特別枠で用意しておいて消印を省略するなんて工夫はなかったから、文字通り不眠不休で郵便局員さんが消印を押しまくっていたそうだ。
なんたる地獄絵図。
インターネット時代の年賀状
実際、インターネットでメールが普通に使える状況になって、年賀状の量ってのはどうなってきているんだろうな?
そう思ったら、年賀状の発行数の推移をまとめてくれているサイトがあった。
この方のサイト、よく読ませてもらうけれど、すごくデジタルで気持ちがいい。
このサイトによると年賀状の発行数推移はこんな感じらしい。
出典:http://www.garbagenews.net/archives/2114695.html
ピークが2003年。その後は安定のダウントレンドって感じだね。
2003年のあとに2008年に小ピークがある。
このあたりにあったことと言えば……iPhoneの普及だ。
つまり、Windows9xがその役割を終えて、2002年にXPが普及し始めた頃、そして、iPhoneというスマートフォンの普及のきっかけが出来た頃、年賀状離れのお膳立てが整ったってところか。
特にスマートフォンの普及後の年賀状離れはえげつない勢いで起きているのが見て取れるよな。
年賀状に俺たちが求めていたもの
スマートフォンと年賀状の相関関係が見て取れたことによって、一つの推論が思いつくよな。
すなわち、スマートフォンと年賀状が担っている役割はかぶっている部分があるんじゃないかってことだ。
もちろん情報伝達という意味では年賀状もスマートフォンもツールなわけだから、スマートフォンの方が便利に情報を伝えられるよねってのはわかる。
でも、情報伝達の中でも年始の挨拶状である年賀状がその役割をスマートフォンに取って代わられているのは何なんだろう?
俺はこれを「つながり」だと思ってみた。
人々はめったに会う機会がなくなった友人や親戚に年に1度位はつながりを確かめる意味で年賀状を出していたんじゃないだろうか?
ところが、スマートフォンによって、そのつながりを維持するってことのハードルはグンと下がっている。
わざわざ手紙を出すくらいなら、日々のくだらないおしゃべりで繋がり続けることがいくらでも出来る様になってきているからな。
もちろん、スマートフォンを使えないお年寄りもいる。
そんな人々に向けては依然として年賀状はつながるための貴重なツールだ。
でも、そのうち、スマートフォンを使えないってヒトはレア中のレアになっていくのは火を見るより明らかだよな。
そんな時代で俺たちは誰とつながって、誰とつながらないで居られるんだろう?
なあ、あんたはどうだい?
年賀状でつながっていた細いけれど大事なつながり、今年は思い出してみないかい?
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