飲み会のコミュニケーション
あんたは飲み会って好きかい?
緊急事態宣言以降、俺たちは飲み会って場が結構なリスクを伴うものって認識を普通にするようになった。
大声で笑ったり、喋ったりすることそのものに対して、感染リスクが伴うって認識はもはやスタンダードな認識になってきていると思うんだよね。
それでも、俺たちは飲み会って場に魅了され続けていて、ニュースはいつだって「夜の街」での感染者数を伝え続けている。
リスクがあるとわかっていても行いたくなる飲み会。
今回はこの飲み会が持っている魅力について考えてみる回だ。
ちっとどこにたどり着くかもわからない俺の思考に付き合ってくれよな。
飲み会はコミュニケーションなのか?
今回「飲み会」というキーワードを授けてくれたnoteがある。
そいつがやひろさんのこのnoteだ。
飲み会ってやつは、お酒が飲めないヒトにとっては苦痛なものなんだろうなぁとしみじみと感じさせてもらえるいいnoteだと思うんだよね。
で、お酒が飲めないかどうかってこと以外に非常に俺にしみた表現をこのnoteはしてくれている。
やひろさんいわく、飲み会は3つのタスクを同時進行しなければいけないって感覚があるそうだ。
自分の周りのグループでの話題を把握すること。
自分の周りに話題を提供すること。
自分の周り以外のグループでの話題を把握すること。
コレを同時進行でするのは相当な労力を伴うので疲れてしまうっていうんだよね。
そう書くと、たしかに難易度高いよね。
ところが、そのことを覆す名言が飛び出してくる。
「酔っ払いは、他人の話なんて聞いていない」。
出典:やひろさんのnote
はは~ん、マジか。
確かにお酒でいい具合に麻痺した脳みそに、3つのタスクを正確にこなすなんてこと出来っこないもんな。
飲み会におけるコミュニケーション
そう考えると飲み会はコミュニケーションの場ではないんだろうか?
これはなかなかに深いテーマな気がする。
だってさ、飲み会で仲良くなることって普通にあるじゃんか。
あの仲良くなるってのはコミュニケーションの結果ってわけじゃないんだろうか?
いろいろ考えてみたんだけれど、やっぱり飲み会ではコミュニケーションが交わされているってのが俺の中の結論なんだよな。
ただ、その交わされているコミュニケーションは言葉によるコミュニケーションじゃあない。ノンバーバルコミュニケーションってやつなんだろう。
飲み会って場が醸し出す雰囲気ってやつがあるじゃんか?
俺たちは酔っ払った頭でその雰囲気だけを記憶しているってことなのかもしれない。
飲み会の場でよっぽどの粗相をしない限りは、だいたい「楽しい」って雰囲気だけを俺たちは持って返っているってことなんだろうな。
ほら、飲み会で誰が何を言っていたとかの正確な情報を覚えているってことはレアじゃんか?
でも、あのヒトとの話は楽しかった~ってイメージだけは残っている。
これって、結構な事実だと思うんだよな。
言葉をつかったノンバーバルコミュニケーション
飲み会では様々な言葉が使われているけれども、その言葉そのものは相手に伝わるものじゃない。
その前提で考えたときに、俺たちは飲み会で使う言葉をどう使っていけばいいんだろう?
言葉の意味そのものの表現は伝わらないって前提なんだから、コイツの雰囲気は楽しいって事を表現することが一番大事ってことになるんだよな。
それと同時に言葉が全く通じていないってわけでもない。
単純にその言葉はその場で消費されるってだけで、その場ではその言葉にキチンと意味が乗っかっているとも思うんだよね。
となると、飲み会での会話で抑えておくポイントってやつが想像できてくるような気がする。
(1) 大きな表情で
(2) 身振り手振りをつかいつつ
(3) 相手の知的好奇心をくすぐりながら
(4) 相手の話を聞く
って感じかな。
多分一番大事なのが(4) 相手の話を聞くってところなんだろう。
ヒトは「表現したい」ってのが一番の欲求だってよく聞くもんね。
つまり一言で言えば、「飲み会は大きな表情で相づちをうとう」ってことかもね。
なあ、あんたはどう思う?
飲み会という場で、俺たちは俺たちを表現出来ると思うかい?
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