アニメという娯楽に俺たちが求めてきたもの
あんたもマンガやアニメを楽しんでいるかい?
俺くらいのオッサンともなると、実に長いことこの2つの娯楽を楽しませてもらっているんだけれど、その長い時間の中でマンガもアニメも実に多くの変化を経てきている様に感じるんだよね。
アニメは特にその変化が大きい。
もともとはスーパーロボットものとか、世界名作劇場とか、まんが日本昔ばなしとか、いわゆる子ども向けアニメってものしか世界には存在していなかった。
ジャストミートでその時代に子どもだったので、素直にそう言うアニメを楽しめていたと思う。
頑張れ鉄人。負けるな鉄人ってやつだ。
#微妙にちょっと上の世代の作品だけど
で、時代は進み、かつての子どもたちが大人になって、その大人でもアニメを楽しみたいじゃんかってニーズが広がっていったのかもしれない。
今回はアニメと言う娯楽に起きた変化ってやつを考えてみる回だ。
ちっと日本のコンテンツ業界を眺めてみようぜ。
大人向けアニメの先駆け
アニメという娯楽を大人も楽しみ始めた作品って言ったら、あんたはどの作品のことだと思う?
色んな意見があるとは思うんだけれど、俺の場合は「宇宙戦艦ヤマト」一択だと思うんだ。
社会的なムーブメントにもなった作品だから「そうだよな」ってあんたも思ってくれるかもしれない。
とりあえず調べてみると、日本のアニメは1917年に最初に作られたらしい。
そう考えてみると、今や世界的に認識されているジャパニーズアニメも100年くらいの歴史しか無いってことなんだな。
はは~ん、なるほど。
節目となる作品ってなると、1960年代の鉄腕アトム。
1970年代の宇宙戦艦ヤマト。
1980年代のAKIRA。
って感じか。
鉄腕アトムもテーマとしては深いものがあるんだけれど、あくまでそれは子どもに向けた物語だったような気がするんだ。
大人が子どもを諭すように物語が紡がれていたような気がする。
それに対して宇宙戦艦ヤマトは明らかに大人が大人に向けて作った作品だったと思うんだよな。
なんつってもテーマが戦争だったり愛だったりした。しかもそれに対する答えもある程度視聴者側に委ねられる仕掛けになっていた。
読解力を視聴者に求める作品
実際ヤマト以降、AKIRAもそうだし、パトレイバーもそうだし、攻殻機動隊もそうだけれど、実に視聴者に読解力を求める作品が増え続けていった。
しかも、後半になっていけばいくほど、「答え」なんてものがそもそも存在しないテーマを扱う作品が増えていった気がするんだよ。
インターネットの出現は更にその傾向を強化していった気がする。
より細分化し複雑化していった世界を背景に、アニメの扱うテーマもより複雑に緻密になっていった。
その極めつけの姿として「進撃の巨人」って作品に結実した様に思うんだよ。
シンプルなテーマを扱う作品
ところが、こう言う複雑怪奇な物語ばかりではなかった。
やっぱりアニメは娯楽なんだから頭空っぽにしていてもシンプルに楽しめる作品ってニーズもあったわけだ。
その代表例としてはドラゴンボールになるかな。
確かに後半は戦いのギミックが若干入ってきて複雑さが出てきたところはあったけれど、基本はシンプルなインフレバトルマンガの金字塔だよな。
ただ、あまりにも存在感が大きすぎてインフレバトルマンガのモチーフで作られた作品が全部ドラゴンボールの二番煎じに見えちまうって副効果が出てしまったってのもある気がする。
結果としてバトルマンガには、そのバトルそのものの魅力以外になにかのモチーフを作り込まなければならなくなった。
鬼滅の刃なら「家族愛」とかね。
結果として、そのモチーフを表現するために、物語の中で仕掛けを施す必要が出てきた。
鬼滅の刃では最初に家族が惨殺されて、その原因となった鬼を最後に倒して終わるって言う、実に「終わるべくして終わる」作品になった。
こっちでも書いたけれど、俺たちが子どもの頃には実に多くの人気作品が「終わるべくして終わる」ことが出来ないって状態があった。
さっきのドラゴンボールが代表格だと思うけれど、それよりも前なら北斗の拳とかね。
でもそれだと、変化の速度を増し続けている今という世界では、消費しきれなくなってきた。
そう言う背景も相まって、シンプルなテーマの作品ってニーズも高まったのかもな。
なあ、あんたはどう思う?
これから先のアニメに、俺たちは何を求める世界になるんだろうな?
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