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「生きる目的」を言葉にする価値

あんたは誰かに「お前は何のために生きているんだ?」って聞かれたことあるかい?

もちろん、そんな「どストレート」に言葉をぶつけてくるやつはレアだよな。
もし、あんたの周りにそんなことを言ってくるやつがいたとしたら、そいつのことあんたは大切にしたほうが良いと思う。
そう言う不器用なやつは、ほぼ嘘がつけないやつだと思うしね。

でだ。
「何のために生きているのか」ってのを一人ひとり「言葉」にしとけって指令が俺の職場で来たんだよ。
ほほう、オッサンに改めて自分探ししてみろやってことだな。

今回は自分の「生きる目的」なるものを無理やり言葉にしようっていうオッサンのあがきの記録だ。

まあ、ためしにさ。
あんたも一緒に考えてみようぜ。

「生きる目的」を言葉にする仕事上の意味

まずはだよ。
そもそも俺の職場でそんな青春を謳歌している若者に向けたような問いかけを俺たちオッサンにまで向けてきているのかって話だよな。

オッサンともなれば、世の中の理不尽を嫌ってほど味わっていて、夢も希望もないんじゃこらってなるやつもそれなりにいると思う。

特にここ1年位で俺が感じているのが、仕事で「管理される」ことへの嫌悪感だ。

会社組織が営利目的であるのなら、その利益に目標が定められていて、その目標に向けて様々な作戦を練るってのは当たり前のように行われている。
で、俺たちオッサンに向けて求められるのは、その計画立案とその計画がどの様に実行されているのかって言う報告。
つまり「管理」だ。

組織が目標を達成するためには、「どうやって行動するか」という計画と「どうやって行動したか」という監視は避けることが出来ない要素だもんな。

ところが、ヒトという生き物は本質的に「管理」をすることもされることもスキって感じることがないのが普通だと思うんだよ。

なので、「好き勝手にメンバーが動いて利益があがる」ってのが理想なわけだ。
で、当然だけれどもそんなん普通に考えたらデキッコナイスなわけだ。
だって、会社の利益って別に個人にとってのメリットに直結してないんだもんよ。

そこで俺の職場を動かしているヒトは考えたんだろう。
「じゃあ、個人の目的ってのをみんなで共有しとけばベストなヒトの組み合わせってのにつながんじゃね?」ってね。

仲間の「目的」を味わってみる

で、その職場の意図は正確にはわかってはいないけれど、職場の仲間たちが考えている「生きる目的」ってのに触れさせてもらったわけだ。

結果から言えば、メチャクチャ刺激的だった。

職場の仲間には日本国籍以外のヒトもいて、その国のヒトが持っている価値観みたいなものも色々と感じさせてもらう事ができた。

インドネシアのヒトの価値観と中国のヒトの価値観はものすごく色が違って見えたし、若者と中堅層のメンバーの目的がある意味で似通っているように思えたってのも収穫だったと思う。

インドネシアのヒトは「成長」の先に「富」を求めていたし、その「富」の先に見据えているのは自分を含めた周囲のヒトの「幸せ」だった。

中国のヒトは「無駄」を避けるべきだと感じて、組織が抱えているであろう「無駄への嫌悪」と自分の感覚をリンクさせていた。

若者も中堅層も時間という自分の命を何に使うのかって判断に用いているのは「直感」だった。
俺の場合はこの自分の「直感」ってのがあんまり信用おけるものだと思っていなかったので、新鮮だったんだ。

自分の「目的」が周りに与える影響

で、そう言う仲間たちの「目的」を見させてもらいつつ、俺の「目的」ってのも見てもらうことになるわけだ。

でもさ。
このオッサンがだよ。
改めて「何のために生きてるんですっけ?」って言われてもメチャクチャ困るやつじゃんか。

まあとりあえずオッサンの語彙力でひねり出した言葉。
それが「共鳴」だった。

俺は誰かとお互いの存在を鳴動しあうことで世界を広げていきたいって思ったんだよね。

その「目標」を聞いてくれたヒトはニッコリしてくれたヒトもいれば、キョトンとしているヒトもいた。
まさに価値観の多様性ってのを実感出来た瞬間だったんだよね。

なら今、俺があんたに掛ける言葉はこれしかないよな。

あんたは何のために生きているんだい?

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