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「夢」と「欲」と

あんたには人生の目標ってもんがあったりするかい?

よく「夢を持つことは大切なことだ」なんてフレーズを聞くことがあると思うんだ。

夢。
自分がその状態にたどり着くことを乞い願いながら、自らのリソースと周りのヒトを巻き込みながら実現へと歩みを進めるための原動力。

そこにあるのは善悪といったモラルではなく、純粋な衝動。
ただただ「そうあれかし」と願う対象。

おそらくは、夢を言語化出来ていると言うケースでも、それは言語による切り口によって、ある一面を具現化しただけで、その実態の立体的な広がりは言語と言う限定的なインタフェイスによっては表し切ることが出来ないもの。

それでも偉いヒトは言う。

「夢を持つことは大切だ」と。

今回は「夢」って存在について思いをはせてみる回だ。

ちっと、青臭くかつ淀んだ俺の感覚に付き合ってくれよな。

「夢」として多くのヒトが思い浮かべるもの

子どもたちに「将来の夢はなんですか?」って質問を投げるっていうこすられ続けているシーンってあるじゃんか。

四半世紀も前なら、「野球選手」だの「サッカー選手」などのスポーツ選手だったかもしれないし、最近なら「YouTuber」だの「インフルエンサー」だのが挙げられるって感じだよな。

これらに共通するもの。

これって「職業」に携わる事が「夢」だってなっているんだよな。

本質的に「夢」を子どもがイメージするのってめちゃくちゃ難しいから仕方ない話だけれども、「職業」って本来は「手段」であって「目的」じゃないんだよな。

じゃあ、「大金持ちになりたい」って夢はどうだ?
このあたりになると、ちっと「手段」と「目的」の境界線が曖昧になってくる。

本来はお金ってのはそれを使って何をしたいかってのが目的になるもんだと思うけれど、自分の資産がメキメキ増えていく様子を見て、純粋にそれを嬉しいと言う感覚もわからんでもない。

世界の資産家たちが、残りの一生で自分の資産を使い切ることも出来ないほどの富を得ているにも関わらず、「お金儲け」を辞めないのはそう言う側面があるからだって想像するんだよね。

もちろん稼いだお金を使って実現したい何かを持っているヒトも居るだろう。そのいずれのケースにおいても「大金持ちになりたい」は少なくとも「職業」を「夢」と設定するよりは純粋なのかもしれない。

今の俺に「夢」はあるか

でだ。
半世紀以上生きてきて、俺は「夢」なるものを捕まえられているのか?

幼児期の俺は宇宙にゾッコンだった。
この地球が宇宙の塵が集まってできたと何かの本やテレビ番組で知ったとき、俺は「宇宙のゴミやさんになる」と言う「夢」を語った。

そこには経済的にどう成立する職業なのかとか、そもそも何をすることが夢なのかとか深いことは当然考えていない。

ただ空の向う側にある無限の可能性に身を浸していたいと言う感覚だけがあったんだと思う。

で、成長するにつけ、宇宙へのハードルの高さってのが異常なまでに高いことを思い知らされていく。
そして、成績表と言う免罪符は俺に宇宙と言う夢を「なかったコトにする」ことを許してくれた。

もはや、挫折ですら無い。
「なかったコトにする」んだ。

これにはメリット・デメリットが当然あると思う。

メリットは「出来ない自分」と向き合うストレスから逃れられること。
デメリットは「出来ない自分」に挑戦出来なくなることだ。

ワクワク出来ないかわりにゾワゾワもしないって感じか。

そんな空気みたいな自分にとっての自分。
存在感が希薄になっていく感覚。

「欲」を持てているか

そう考えていくとさ、「生きている意味あるの?」とか言う究極の疑問に突き当たっちまうんだよな。

ここでポイントになるのが「意味」の主体がどこにあるかってことだと思うわけだ。
つまり、「誰にとって意味があるか」ってことね。

これは善悪ってフィルターを通しちまうと事実が歪んできそうなので、そのフィルターは使わずに考えると、やっぱり「自分にとっての意味」ってなると思う。

例えば「誰かに喜んでもらいたい」って欲は「喜ばれている自分に満足したい」と言う自分の欲が源泉だよなって話ね。

俺はオモロイと言う状態に身を晒していたい。
そのためにオモロイヒトと話がしたい。
そのためには自分がそのヒトからオモロイと思われないといけない。
だからオモロイを貪り探す。

なあ、あんたはどうだい?

あんたの「夢」は「欲」としっかり結びついているかい?

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