性別不合が抱える課題
あんたはLGBTQについて考えることとかあるかい?
俺自身は男性で女性が恋愛対象で世の中の制度に従った結婚をし、妻と息子とで家族を作った。
息子はすくすくと育っているが、俺が小学校時代には2度位は恋心を抱えて悶絶したもんだが、そういう素振りは見えない。
まあ、流れ込んでくる情報量が多いから女性ってものに恐怖を覚えているってのもあるのかもしらん。
そんななか(どんななかだ?)伊藤ぱこさんのこんな記事をよませてもらったんだよね。
印象的だったのは身体的な性別と精神的な性別が一致していない状態は「障害」なのか?って言う問いかけだった。
LGBTQってなるともっと状態が複雑化してしまうから、今回は性自認が身体的な性別と異なるいわゆるトランスジェンダーについて考えてみる回だ。
当事者じゃないやつに何がわかるもんかって話かもしらんけれど、想像はしておこうぜ。
自分の性自認を見てみる
俺の場合は身体的に男性で精神的にも男性だと思う。
思うっていうのは、自分がそう感じているってだけで、なんか客観的な検査を受けたわけでもなんでも無いからって意味ね。
で、そこで一つ問いかけをされたとする。
「なぜオマイは自分のことを男性だと思うんだ?」って。
そしたら俺は身体的な性別を根拠に説明するだろう。
そして追加でこう質問される。
「なぜオマイの精神的な性別は男性なのか?」って。
とたんに言葉に詰まる。
「そうだから」としか言いようがない。
あえて言うなら「そう育ってきたから」とでもなるんかね。
つまり、性自認については本人の意思ってのがあんまし関わってこないんだよな。きっと。
ただ、性自認が人生をこなしていく中で変化するケースもあるって話も聞いたりするから、本人の生まれ持ったものだけじゃなくて環境的なものも性自認を構築するのに影響を及ぼしているってのはあるのかもしれない。
性同一性障害と言う言葉
で、そう考えていくとだ。
伊藤ぱこさんの言う通り、性同一性「障害」の障害って言葉に違和感を感じるってのは確かにある。
障害ってことは「治すことが出来るものなら治したほうがいいもの」ってことだもんな。
性自認ってのは先天的、もしくは後天的な要素もあるかもしれないけれど、本人のコントロール外のところで形成された性質なんだもんな。
ただ、現実問題として考えるとだ。
「じゃあ、オマイは性自認が女性で身体的には男性のヒトと夫婦関係を作れるのか?」と問われるとたぶん出来ない。
「なんで出来ない?」と問われたら「自分がそう感じるから」としか説明出来ない。
もしかしたら俺のような感覚が将来的には「障害」ってカテゴライズされることもあるのかもしれない。
ってか性同一性障害って言葉おかしくね?
性が同一な障害って読めない?
ちなみにWHO(世界保健機関)では「性別不合」って言葉を使うらしい。
つまり国際的には身体的性別と精神的性別の不一致と言う状態に対してすでに「障害」と言う言葉を使わなくなっているってことなんだな。
そもそも病気じゃないんだし、そのものズバリな表現だからこの言葉がもっと一般化したほうが良い気はするよな。
男性と女性の身体的性別ごとの性別不合
仮にだ。
身体的性別が男性で精神的には女性だってヒトがいるとする。
そういうヒトは女性用トイレだったり女性用の銭湯だったりに入るのは良いのか問題があるじゃんか。
物理的には男性だから、性的興奮を身体的に反応しちゃうとかってあるのかな?そしたら、他の女性としては気が気じゃないよな。
そもそも精神的に女性だということを立証する方法が厳密にはない。
精神科とかで証明書を発行するとかにしても、そんなんいくらでも突破するノウハウが出来るだろうし、なんなら証明書の偽造なんてのもいくらでも出来そうだしね。
じゃあ、身体的性別が女性で精神的には男性だったヒトの場合はどうか。
銭湯のケースで考えると自分が男性だと思っているヒトが男性に襲いかかられると言うえげつない事が起きかねない。
性別不合の状態になっているヒトが身体的に女性だってのは結構いろんな面で不利に働く事が多いのかもしれないな。
なあ、あんたはどう思う?
性別不合と言う状態のヒトに対して世の中はどうあるのが多くの幸せを生み出す事ができると思う?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?