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「悪者」と言う存在

あんたは「泣いた赤鬼」なんておとぎ話を覚えているかい?

こんなTweet(今はXのポストっていわなならんの?)をこのnoteで教えてもらったんだ。

なんつーかお二方とも、いつもながらに刺激的な発信なんだよな。

きゃらをさんはTweet(X)の短い文章の特性に合わせて端的に問いかけてくれている。
友達ってなんだってね。
※XとTweetを併記するのってめんどうだねぇ。

ももまろさんは赤鬼との離別の選択をしたことを「合理的」と評価している。

きゃらをさんとももまろさんの発信は実に俺を刺激するわけだ。

友人ってなんだ?ってさ。

今回は友人ってやつについて考えてみる回だ。

まあ、俺たちにとって大切だと思うヒトのことに思いを馳せてみようぜ。

友人であると言う思い

オッサンともなるとさ。
なかなか物理的な行動を起こすのが難しくなってくるんだよな。

ちょっと出かけるだけで体調不良を起こしちまうから、なかなか昔からの友人に会うなんてことが出来なくなってくる。

ならネットでやり取りすりゃあ良いだろって?
全く持ってその通りなんだけれど、物理的な接触で友人関係を築いた奴らとは直接会うって言う行為を伴わないと友人関係を維持できている気がしないんだよな。

じゃあ、ネットでやり取りしてもらっているヒトはどうなのか?

中には直接会わせてもらっているヒトもいるんだけれど、基本的には「読んでもらっているヒト」ってことにしないと何か失礼に当たる気がするんだよな。

いや、コメントを返してくれたりするヒトは俺としては友人だと思いたいのよ。でも、それって一方的な感情だよなって思う感じ。

まあ、その感情がそもそも一方的だろうがって言われたらそうかも知んないんだけれどさ。

結果的にリアルにせよ、ネットにせよ友人と言う存在を実感出来ていない、もしくは実感してはいけないって感じているわけだ。

おお、寂しいのお。

泣いた赤鬼

話を少し戻して、きゃらをさんとももまろさんが書いてくれている赤鬼と青鬼の話を考えてみる。

彼らは友人だったのか。

まあ、最初に思うのは「なんで赤鬼は青鬼を悪者にする作戦を承諾したのか」ってことなんだよね。

いやだって、「心優しい鬼」なんだよ?

心優しいってどういう状態なんだって話になるじゃんか。

シンプルに考えれば青鬼がどういうことになるかなんて赤鬼は想像出来たはずなんだよ。
それが想像できないほど赤鬼はバカだったのか?
そうじゃないだろ。

赤鬼は「人間と仲良くする」と言う目的と「青鬼を失う」と言うことを天秤にかけて「人間と仲良くする」を選んだんだ。

そして選んだ結果が現実になって、改めて泣いたってわけだ。

「心優しい」ってこと

例えばだよ。

今、日本には韓国のヒトのことを悪者にするみたいな風潮があるじゃん。

反日運動がどうのこうの。
不買運動がどうのこうの。

まあまあ、事実を捕まえている上での感情だとは思うんだ。

俺としてはその韓国のヒトたちを「悪者」にするのはいかがなものかって感覚はあるんだよな。

それって青鬼を悪者にすることで利益を取りに行った赤鬼と同じじゃんってさ。

いや、現実問題よ。
韓国のヒトで本気で日本という国家を嫌っているヒトは一定数いると思うんだよ。
でも日本と言う国を嫌っていないヒトもいると思うんだ。

そこを十把一絡げに扱うってのはフェアじゃないし、そもそも現実を真正面から捉えていける行為でもないと思うんだよね。

なぜ赤鬼は泣いたのか。

心優しかったからなんだろ?
わかりきった結果が現実になったことで自分が犯した罪に押し寄せられたからなんだろ?

そう考えるとさ。
韓国のヒトを青鬼にしてしまう愚行を俺たちは選びつつあるように感じないか?

その先にある「泣いた赤鬼」になってしまう自分たちを想像することもなくにね。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは誰かを「青鬼」に仕立て上げて本当に幸せを手に入れる事ができると思うかい?

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