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人間関係と人生経験と

あんたは自分のことをどう見られているのかってことを考えることがあるかい?

ヒトとして生きていれば自分がどう見られているのかなんて日常的に考える、というか感じることだと思う。

そして、その感じ方ってのは、まあまあな割合でネガティブにふれるもんだよな。
そう感じるのがいい結果をもたらさないってのをわかってても、なぜだか俺たちは自分自身がネガティブな存在だって思いたがる傾向があると思う。

今回は自分への印象ってのをどうコントロールしていけば良いのかを考えてみる回だ。

まあ、半分無理ゲーな気もしながら付き合ってくれよな。

友人関係について考えるってこと

今回はこの記事から俺はイメージをもらったんだ。

すんません。毎度お世話になっとりますのももまろさんだ。

この記事の中でももまろさんは「友人から借金を頼まれる」と言うまあまあ人生において経験したくない出来事について語ってくれている。

俺の場合は幸いにもそう言う経験はしなかったけれども、そう言うことがままあるってのはよく聞く。

ギャンブルだとかで種銭使い尽くしたから友人から借りるなんて、マンガみたいなケースもあるかもだけれど、どっちかって言うと会社の経営の資金繰りに困ってやむなくなんてケースのほうが多いんじゃないか?
特に現代では個人事業主として働くケースが結構増えてるしね。

当然、会社の資金繰りともなれば金額もえげつないことになる。

そんな状況に追い込まれたら後先考えていられないもんな。
なんつっても生活がかかってることになるから。

ももまろさんのご友人がそう言う状況かはわからんのだけれどさ。
ももまろさんはご友人からの借金を断ったそうだ。

俺の感覚としてはももまろさんの判断は英断だと思うのよ。
友人間での金銭の貸し借りは確実に人間関係を変質させてしまうからね。
まあ、結果として人間関係は変質してしまうことにならざるを得ないんだけれども、そのトリガーをももまろさんが引かないってのが大切なんじゃないかと思ったんだ。

ももまろさん自身が「誰かを切り離した」って十字架を背負わなかったってことだもんな。

俺が友人を切り離したってこと

とか言いながらだよ。

俺も過去に友人と仲違いして別れ別れになっちまったことは普通にある。

自然消滅みたいな感じじゃなくて、本気で喧嘩別れした感じのやつだ。

しかも同じ友人と二回。

詳細な理由は俺自身がよく理解していないし、俺は「切り捨ててもらった方」の立場なので書くことは出来ないんだよね。

でもだ。
俺がやつを引き止めることをしなかったってのは事実だ。
二回ともね。

冷たいじゃんか?
全く持ってその通り。
でもその当時の俺には引き止める言葉は思いつかなかったんだ。

いや、違う。
今考えてもやつの考えていたことをキチンと言語化するのって出来ないと思う。

つまり、俺はやつの友人のふりをしていただけってことなのか?

友人という存在

そこでちと考える。

「友人」ってなんだ?

普段から「おんなし」ことを楽しむ仲間ってことか?
困ったときに助けてくれるやつのことか?

たぶん違う。
なんかしらかの意味で尊敬出来るやつのことじゃんか?

その意味で、俺は喧嘩別れしちまったやつのことを尊敬していた。
本気でマンガ家になるってのを目指しているってやつだった。
喧嘩別れしちまったから、その目標が達成されたのかは理解できていないんだけれどね。

でも相手にとっては俺は尊敬する要素が見つけられなかったんだろう。

まあ、言ってもその当時の俺はガキンチョだったからさ。
尊敬も何もなかったとは思うよ。

じゃあさ。
やつが「今」の俺を見たらどう感じるんだ?

やっぱりあのときのように軽蔑を感じてしまうのか?
こればっかりは本人に確認しないとわからんやつだよな。

でも一つただけ確かなことがある。

俺がやつを失ったことへの喪失感は今も俺の中にあるってことだ。

それこそウン十年前の話なのにな。

なあ、あんたはどうだい?

あんたにも失った人間関係ってのが思い浮かぶかい?

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