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星空のロマンと今の娯楽

あんたは最近、星空を眺めることがあるかい?

在宅勤務になってから、夜空を見上げるってことが極端に少なくなっている気がするんだ。
通勤をしないってことが、こんなところにも影響を及ぼすんだな。

で、息子が宿題で星の観察をするってのを出されたってんで、ちっと一緒に空を眺めてみたんだよ。

で、ちょっとびっくりする。

オリオン座の三ツ星が見えにくくなっている。

シンプルに目の老化が進んでるんだろ?って話かもしれないけれども、そもそも息子はオリオン座の三ツ星の存在を意識していないってのにもびっくりする。

子どもってのは宇宙に夢中になる生き物なんじゃないんだっけ?

今回は今の星空について考えてみる回だ。

ちっと今の情報化社会が俺たちから奪っているものについて考えてみようぜ。

オリオン座という星座

オリオン座ってスゴイ特別な星座だって認識が俺の中にあるんだ。

他の星座の形は覚えていなくても、オリオン座だけはわかるってヒトが結構多いんじゃないかって思ってるんだよ。

あの特徴的な三ツ星とベテルギウスとリゲルという明るい星で構成されている砂時計のような形は、えらくシンボリックなものに思えるじゃんか。

ガキンチョの頃から何気なく冬の夜空を眺めていると見つけられるあの星座はある意味深遠なる世界の象徴のようにも見えたりする気がするわけだ。

オリオン座を意識しない生活

ところが、うちの息子はオリオン座って存在を知らなかった。
意識していないって方があっているかもしれない。

うむむ?なんでだ?

考えてみると、子どもたちは俺たちがガキンチョの頃に比べて、夜に出歩くことが少なくなっている気がした。

俺たちがガキンチョの頃は今よりも放任主義というか、何しろ人数が多かったから親の世代としても今の子どもたちと同じ様にかまってやることは難しかったんだと思う。

それでも習い事とかは通わせてもらっていたので、その習い事へ子どもだけでチャリで夜空を背景に爆走していたわけだ。

ところが今の時代では良いか悪いかは置いておいて、現実問題として子どもだけで夜中に行動するなんてことはレアケースになってきていると思う。

そりゃ、宇宙にロマンを感じるタイミングそのものが無くなっているわけだから、オリオン座を知らないってのも自然なことなのかもしれない。

知らないと見ることが出来ない

で、改めてオリオン座くらいは知っとこうぜって思った俺は息子と夜空を眺めてみる。

そこで、冒頭に書いた通りびっくりするわけだ。
あの三ツ星がすぐに見つからないんだもんよ。

俺の目の老化が原因なのか、シンプルに暗順応が出来きっていなかったせいなのかはわからないけれど、実に見つけにくい。

とりあえずシリウスを見つけてそこを起点にオリオン座を探す。
あった。
かろうじて見える三ツ星。

でも、たしかにこれは意識して「そこにある」って思ってみないと見つけられないって思ったんだよ。

これはここ数年でいきなり都市化が進んだ結果ってよりも、単純に家の中で過ごす時間が増えているために、夜中の暗闇の中で行動する時間ってのが少なくなっているために暗順応をするってことそのものが少なくなっているってのがあるのかもしれない。

いずれにせよ、今の子どもたちは星空を眺めるって世界観を持てない状態にあるってことなんだろう。

娯楽を見つけに行くという経験

そう考えてみると、今の子どもたちには俺たちがガキンチョの頃に比べるとびっくりするくらい「提供される」ことで成立する娯楽にあふれている。

You Tubeの動画もそうだし、オンデマンドでの映像配信もそうだし、ゲームやテレビ。なんでもそうだ。

娯楽にたどり着くための手間暇が非常に少ないんだよね。

俺たちですら、俺たちの親の世代に比べたら娯楽にたどり着く手間暇ってのが格段に減っていたと思う。
なので、この変化は良し悪しで語れるもんじゃなくて、そう言う状態として受け止める方が良さそうだ。

俺たちがメンコやベーゴマや人生ゲームで遊んでいたのと動画やゲームで今の子どもたちが遊んでいるのは「楽しむ」って本質では変わりないはずだよな。

大事なのはその本質に関わる経験を積むってことだと思うわけよ。

娯楽にたどり着く労力が少ない分、俺たちがガキンチョの頃に比べて数多くの「楽しむ」経験を積めるはずだもんな。

その経験の中に、俺たちが星空に感じていたロマンも混ぜてもらう。
そのために俺たちがかつて感じていたロマンってやつを言葉にする。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは俺たちが感じていたロマンをどうやって子どもたちに伝えていけるんだろうか?

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