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日本は「卑怯者」だという世界的な認識

あんたもウクライナのゼレンスキー大統領がアメリカ議会でオンライン演説をしたってニュース見たかい?

今の状態でアメリカとの関係を深めるってのはウクライナ大統領としては当然の戦略だと思うので、オンラインでも演説を届けるってことは意味が大きいと思う。

ただちっと気になったことがある。

真珠湾攻撃と同時多発テロが同列の文脈で語られているってことだ。

ちょっと驚いたんだよな。
宣戦布告を伴った戦争行為とテロ行為が同列に扱われていることに。

今回はこの2つが同列に扱われているって事実について考えてみる回だ。

日本という国が歴史的にどう見られているのかってのを整理してみようぜ。

真珠湾攻撃と宣戦布告

真珠湾攻撃と宣戦布告については物議が醸される話だって話は聞いてことがある。

やれ、宣戦布告の送り方がまずかったので、真珠湾攻撃と後先になったように受け止められただの、受け止める側の処理が迅速に行われなかったから、日本としては真珠湾攻撃がだまし討ちのような不名誉な攻撃になっただの。

結果として正式にアメリカが日本の宣戦布告を受領したという状態になる前に真珠湾攻撃が起きたって話だ。

そのことが事実だと認識した上で国家間の戦争行為とテロ行為は同列に表現されるってことを俺たちはどう捉えていけばいいんだろう?

ウクライナで起きている「戦争」

改めて考えてみると、21世紀の現代において「戦争」が起きているって事実をキッチリ考えておく必要がある気がする。

世界が経済でつながっている。
つまり利害関係が複雑に絡み合っているって状況において、もはや「戦争」も「テロ」も同じ文脈で語られるって感覚は俺たちの中にもあるじゃんか。

加えて、ウクライナに対する戦闘行為はロシアが「戦争」と認めていないってのがあるから、宣戦布告も当然のように行われていない。

その切り口から見ると、同時多発テロも真珠湾攻撃も同じ様に語られているってのもあるのかもしれない。

日本が卑怯者として語られる文脈

ただなぁ。
やっぱ日本人としては真珠湾攻撃が「卑怯者」って評価されている状態ってのは違和感があるじゃんか。

電報とは言え、文章でキッチリ宣戦布告を送っていたって認識に立つと、全ての「奇襲」が悪って扱いになるのかってのはちっと受け入れがたい。

ただだよ。
ウクライナが今さらされている状況を考えると、全ての戦闘行為は「仕掛けた側」に問題があるって感覚もわからなくもない。

だってよ?
「オマイラ、悪いやつだから死んどけ」
って攻撃始められて、しかも戦闘行為を担務する軍人ではない民間人への攻撃も行われていてって状況になったら、そら攻撃始めたほうが悪いって誰だって思うやつだ。

ところがこの「攻撃開始は悪」ってのは当時の状況やら国際的な認識に照らしているわけじゃないってのがポイントだと思う。

手続き的な悪手があったってのが事実とは言え、真珠湾攻撃は手続きを経て、かつ当時の帝国主義的な世界観での行為だったってのがあると思うんだよ。

それと同時多発テロを同一視して語られたってのは、やっぱり違和感がでかいわけだ。

ゼレンスキー大統領の認識

とは言え、ゼレンスキー大統領の認識として真珠湾攻撃と同時多発テロは同じ要素を持つものとして捉えられているってのは現実なわけだ。

なぜか?

そらそうだよな。
俺たち日本人としても真珠湾攻撃と宣戦布告の関係についてキッチリ語れるヒトは少ないって思う。

そもそも当事者の片側である日本人がこの歴史について調べようと思うことすら少ないってのが現実だもんな。

そうなっちまうと、他国の大統領が日本を「卑怯者」として捉える歴史観を持つってのも、無理からぬ事だったことなんだよな。

だとすればだよ。
俺たち日本人としては、なぜ真珠湾攻撃と宣戦布告が不整合を起こす事実が起きてしまったのか?ってことに興味を持つってのが大切になってくるんじゃないか?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは日本人が「卑怯者」にされている事実に対して、どういうことをしていけばいいんだろうか?

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