見出し画像

非難を俺たちが欲する理由

大坂なおみさんが開会式の最終聖火ランナーになった姿をあんたも見たかい?
東京オリンピック2020が終わった。
改めてあのイベントを振り返ってみると、開会式の印象ってなんだかんだ言っても存在感を示していたような気がする。

大坂なおみさんが最終聖火ランナーとして登場したのを見たときに「ああ、なるほどなぁ」って思ったんだよね。
きっとあんたもそんな感じでみてたんじゃないか?

今の世界で最も共有されている価値観ってやつに「多様性」ってのがあると思うんだ。
黒人、白人、黄色人種。
多くの出自の異なる宗教。
それらを認め合わないといけないねって価値観だ。

その象徴として選ばれた大坂なおみさん。

その人選の前提となる考え方ってすごく納得行くものだと思うんだ。

ところがだよ。
どうもこの人選について納得ができないって意見もそれなりにあるらしい。

ふんが?
いやどういうことなんだ、これ?

今回は大坂なおみさんという人物を受け入れられないって意見について調べてみる回だ。

ホント、なんでなんだろうな?
ちっと調べてみようぜ。

大坂なおみさんへの批判がSNSに掲載されるきっかけ

なにやら、東京オリンピックで大坂なおみさんが3回戦で敗退してしまったことを契機に大坂なおみさんへの批判的なコメントがSNSに出回ったらしい。

このニュースのケースでは、大坂なおみさんの容姿について侮蔑的なコメントをSNSで発信してしまったってヒトの話が書いてあった。

シンプルに考えて大坂なおみさんの容姿がどういう状態であったとしてもオリンピックという舞台で彼女が頑張ったとことは関係ないので「なんだっけ?」って感覚は否めないニュースだとは思うんだ。

その上で、この問題となっている発信をなんでこのヒトはしたんだ?って考えると、結構難しい話になってくる気がしたんだよね。

だってよ?
何も関係ないじゃんか。
ぶっちゃけ大坂なおみさんが活躍しようが負けようがそんなことは多くのヒトには直接の利害関係はないと思うんだ。

大坂なおみさんとスポンサー契約を結んでいるとか、そう言うことがあれば利害関係は発生するかもしれないが、それがあったならば、正式なルートを使って意見を共有すればいい。
でもそんなん関係なしに個人のアカウントで発信する意味。

そこには何があるんだろう?

感情と発信

そこを想像し始めてみると、ひとつの言葉が出てくる。

「感情を言葉にする場所が増えている」ってことだ。

俺たちはSNSという環境を手に入れることで実に多くの発信を行えるようになった。

その発信のための手続きはメチャクチャシンプル。
それ故に、俺たちは思ったことをそのまま発信する事ができるようになった。

そこではたと気づく。

俺たちの感覚がいかに負の感情に支配されているのかってことにだ。

だってさ、大坂なおみさんのニュースに限らず、各ニュースサイトに掲載されているニュースがどんだけ負の感情に満たされているのか。
あんたもそう思わないか?

これは俺の想像でしかないんだけれども、きっと俺たちは常に「刺激」を求めているってのが実態なんじゃないかね?

俺たちの感覚は常に何かとの比較によって成立している。

周りのヒトに比べて自分はどうだ。
前の自分と比べて今の自分はどうだ。

そんな比較でしか俺たちは世界の状況を理解できない。

俺たちは世界を理解するために今の自分と比べた世界を感じたがっているってわけだ。

そして、俺たちは弱い。
弱いゆえに「自分がマシな状態」だってことを感じたがる。

そのためのスケープゴートとして誰かを非難する情報ってのを探し続けている。
そう言うことなんだと思うんだよな。

でもさ。
それってメチャクチャ悲しくないか?

だってよ?自分自身を認めるためにどこかの誰かを非難していかないといけないってことだろ?
自分の周りにいるヒトを認める喜びよりも、誰かを非難する自己保全が大切なんてさ。

なに?それは俺がある程度の環境を手にしているからだろって?

その要素もあるとは思う。
でもさ、俺もあんたと同じくなんとか日々を暮らしているって状況なわけだ。

それでもだよ。
誰かをこき下ろすことでしか自分の存在価値を認められない状況ってスゲー悲しいじゃんか。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは俺たちの価値をどうやって感じていけばいんだろうな?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?