評価と離職率
あんたは今の職場にずっととどまっていたいって感覚を持っているかい?
なんか離職率の低いランキンぐってのが出てるらしい。
なんつーか当たり前っちゃあ、当たり前なのかもしれんけれど、いわゆるIT企業ってのが見当たらんわな。
トップはThe North Faceで有名なゴールドウィンなんだな。
ブランドを作り上げることによって、従業員の仕事を定型化出来ている部分が大きくなっているってことなのかな?
今回は離職率と仕事の内容の関係について考えてみる回だ。
ちっと仕事ってことについて考えてみようぜ。
離職率が少ない企業
この記事によると、離職率が少ない企業ってのは日本型経営ってやつをしている企業が多いってことらしい。
要するに、年功序列ってことかな?
年功序列なんて悪の権化みたいに捉えられることが多いと思う。
経験より、今この瞬間の能力で判断しろよって意見はめちゃくちゃわかるし、経験を含めた現時点でのパフォーマンスを重要視しろよって考え方はなんつーか「正義」だよな。
能力の判断基準
ところがだよ。
この「今この瞬間の能力」ってのを正確に評価出来る方法ってのは実に難しい。
成果主義と言うけれど、そもそもその成果ってのは何だ?
売上?
たしかにその通りだけれども、その売上を生み出した力ってのはどういう理屈で分配されたんだ?
営業活動がその売上を生み出したのか?
その営業活動の先で生み出された実働作業が評価されたから次の売上を生み出したのか?
その双方が売上を生み出しているってことはわかるけれど、その割合がどうなっているのかなんてことを評価できるヒトはいない気がする。
ぶっちゃけ、経営サイドというか評価サイドの印象ってフィルターをかけて判断するしか方法がないと思う。
年功序列が受け入れやすいという現実
そんな風に「能力」ってものを評価するのはめちゃくちゃ難しい。
ヒトってのは相手がスキなやつなのかを判断することはワリカシすんなり出来ると思うんだけれど、どんなやつが利益を生み出すことが出来るのかってことを客観的に表現するのって苦手ってのがあると思う。
これこれこう言う理由でこのヒトが利益を生み出す事が出来ると判断しました。
そう説明して、結果としてそのヒトが単年単位で利益を生み出すことが出来なかったら、その評価したヒトもろともに批判の対象になっちまうからな。
誰だって、そんなリスクを追ってまで誰かを評価できるわけないわけじゃんか。
そう考えると年功序列って考え方は、実は組織の中で誰かを評価するには都合が良いシステムってことなのかもしれない。
要するに年功序列ってのは誰かを評価する基準ってのを個人に依存させない仕組みってことだもんな。
有能と言う定義
そんな風に、俺としては誰かが有能かどうかを判断する基準を誰かと共有することってのがめちゃくちゃ難しいことだと感じているわけだ。
で、試しに小学生の息子に「有能とは何か?」と聞いてみた。
うん、無茶振りだよ。
その上で実感としての子どもの感覚ってなんか生み出しそうじゃんか。
息子いわく。
「決められた作業をキッチリこなせるヒト」
らしい。
おおう、そうかよ。
俺としては「決められた作業を作れるヒト」が有能だと思ってたんだけれどね。
息子にとっては、実作業を淡々とこなすことが出来るヒトこそが世の中を支えているって感覚らしい。
そう考えるとだよ。
日本型経営をしている企業の離職率が低いって現実が裏打ちされている気がするよな。
要するに、俺たちは「決められた作業を作れるヒト」ってやつになれるとは限らない。
なら、コツコツ「決められた作業をこなす」ことが評価される企業の方が離職する必要がないって感じてるってことなんだろうな。
俺の学生時代の恩師が言っていたことを思い出す。
世の中には「決められた作業を淡々とこなすヒト」と「決められた作業をつくるヒト」の両方の人種が必要なんだって。
たまたまその恩師は「決められた作業を作るヒト」であることが性に合ってただけだって。
なあ、あんたはどう思う?
あんたは作業を作ることで世の中に価値を提供するかい?
それとも作業をこなすことで世の中に価値を提供するかい?
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