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体験を求めるという本能

あんたは旅行って行ったりするかい?

俺たちが思い描く「成功者」ってやつがあったとする。
結構高確率でこの「成功者」って人たちは旅行をしているイメージがないかい?

やれ、イタリアに行ってきましただの、やれエアーズロックを見てきましただの、facebookにはそう言った旅のコンテンツが目白押しだよな。

今回はそんな旅行について考えてみるとするかね。

あんたの旅の終着駅。
どこにありそうだろうね?

俺たち庶民はなんで旅に出るのか

我が家は決して裕福とは言えないのだけれども、それでも年に何回かは旅行というやつに行く。

独身時代は旅行なんて数年に一度くらいしか行かなかったんだけれど、妻がやたらに休みを家で過ごすことを「罪悪」と感じるらしく、長期の休みに旅行にでかけたがるんだよね。

なんでそんなに旅行に行きたいの?と問いかけると「だって旅行に行きたいんだもん」と情報が1ビットも増えない回答が返ってくる。

とは言え、俺自身も旅行というものが全く魅力のない行動だとは思わない。
では俺自身の感じている旅行の魅力というものは何なのか?

きっとそれは「体験」なんだと思う。

今まで行ったことのないところに行くという体験。
以前、行った時に心地よかったという記憶をたどるという体験。
それまでに想像することもなかった人々との出会いという体験。

そのどれもが旅という行動の先にあることだと思うんだよな。

世の中にあふれる「体験」

とは言え、世の中には「体験」を売り物にするサービスが旅行以外にも結構ある。

ちょいと新宿に出てみれば、手裏剣道場なんていう忍者体験施設が普通にある。

こんなの子供は大喜びするやつだよな。
なにやらからくり屋敷的なもので忍者を体験するらしい。

吉祥寺に出かければ、憧れのハンモックに揺られることだって出来る。

ハンモックでゆらゆらするのって子供の頃からの夢じゃないか?
そいつがわりかしすんなり体験できるってスンポーだ。

代々木に行ってみれば、リアル体験脱出ゲームなんてものも味わえるらしい。

ってか脱出ゲームって言葉は聞いたことあるんだけれど、その実体は想像もできない。
面白いんだろうとは思うんだけれど、ちょっとオッサンが行っていいところかどうかはあんたの体で体験してくれ!

ってふうに、ちっと探すと色んな体験サービスがそれこそ星の数ほど出てくることが分かる。

なんでこんなにも俺たちは体験を求めているのか?

俺たちが求めていること

旅行でも、1日で体験できるサービスでも、俺たちが共通して求めているもの。それが刺激だ。

今までにない刺激。
過去に体験した心地よい刺激。
どっちにしても、俺たちは刺激を追い求めている。

その刺激が単純に脳の中で起きている電気反応に過ぎないとしても、俺たちはその反応を追い求めてやまない。

それは俺たちが生き残る可能性を高める行為だからなんだと思う。

俺たちヒトは、巨大な経験値を世代を超えて蓄積してきた。
狩猟採取の生活では、どういったところにどんな植物や動物がいるのかを口伝で伝えていったし、農耕生活に入れば、農耕のための効率的な作業方法を伝えてきた。
それらの経験値はいずれも「新しい刺激」によってもたらされていたものだ。

食べてみたらものすごく酸っぱい木の実は食べてみなければわからなかった情報だし、雨が何日続いたら作物がだめになるってことも経験してみなければ得られない情報だったはずだ。

そして、ITによって記憶が外部化されてきている現代においては、それらの経験が必ずしも経験を経ないで理解出来る状態になってきている。
多くの行動に対する結果はすでに記録としてネット上に点在している。

さっきの手裏剣道場だって、いってみたヒトの感想なんて、ちょっと調べればすぐに出てくる。

ほらな?

俺たちは、旅行や直の体験を経なくても情報は得られる世の中にいるってことだ。

でも、それだとしても、俺たちは刺激を求めるってのは事実だ。
俺たちは知りたいんじゃない。体験したいってわけだ。

それが単に昔から続いているヒトとしての本能みたいなものに過ぎないとしても、俺たちは体験を追い求める。

だとしたら、俺たちは体験する側だけじゃなくて、体験を提供する側になったほうがオモロイと思わないかい?

体験し続けるというのがヒトの本能なら、それは絶対に無くならないニーズってことだもんな。

なあ、あんたはどう思う?

あんたはどんな体験を提供できると思う?

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