鬼滅の刃と進撃の巨人の魅力
あんたもなにかの作品を楽しみに過ごしているかい?
2022年冬のアニメのランキングってニュースがあったんだよね。
こいつを見てみると、どうやら進撃の巨人を抑えて鬼滅の刃が1位に輝いたらしい。
なるほどなぁ。
鬼滅の刃人気健在なりってところなのかもね。
ただ、個人的には鬼滅の刃よりも進撃の巨人の方が好みというか刺激を受ける部分が多いように感じているんだ。
今回はこの2つの作品の魅力について改めて整理してみる回だ。
まあ、オッサンの戯言にちっと付き合ってくれよな。
鬼滅の刃の魅力
まず2022年冬の「遊郭編」に限定して鬼滅の刃という作品を眺めてみようとする。
遊郭編って物語は主に戦闘を描くものだった。
潜入するところのコミカルな部分だとかは味付けで、良い存在感を出して入るものの、やっぱり主軸は2人の鬼との戦いのシーンだと思うんだよね。
その意味で、「遊郭編」はアニメとしての大成功作品だと思う。
あれ程のクオリティで毎週の放送をしているってのはどれだけの思いの制作費を突っ込んだんだろうって思わせるものだった。
そりゃ11話で一旦区切らないと人員が間に合わないよなって思うほどにね。
そう言う「製品」としての出来栄えは「遊郭編」は異常なほどの出来栄えだったと思う。
物語の面では主人公たちの成長の果実を確認出来ることだったり、柱の地位にまで上り詰めた一人のヒトの劣等感だったり、鬼たちの抱えてきた思いだったりと素晴らしいものがあった。
その意味で言うと、鬼滅の刃「遊郭編」は極めて個人の感覚に根ざした物語だった。
以前から鬼滅の刃では戦闘における体力的な厳しさを言葉で具体的に表現することによって、その辛い感覚を視聴者が想像できるという特徴があったと思う。
遊郭編でもそこはいかんなく発揮されていた。
ポイントは言葉で辛さを表現するのは主人公の炭治郎だけで、他のキャラクターはその状況表現のみで辛さを表現していたところだと思う。
あ、善逸は起きたあとは盛大に泣き言言ってたけれどね
その様な演出で鬼滅の刃ではあくまで「個」というものに根ざした物語だったと思うんだよ。
進撃の巨人の魅力
対して進撃の巨人の魅力ってのはどういうものなのか?
原作を完結まで読み切った上での感想を言えば、同じく主人公エレンや104期生たちの個人の感覚ってのは当然の様に描かれているわけだけれど、それは描きたいものそのものじゃないように感じるんだよね。
あのメチャクチャ作り込まれた伏線とその回収っぷりを眺めて思うのが、「この作品は個人じゃなくて世界を描いている」ってことなんだ。
巨人がヒトを意味もなく喰らい、有能無能にかかわらず実に多くのヒトがまるで意味を感じることができないような死に方をしていく。
しかもその死が巨人によってもたらされるだけじゃなく、ヒトによってももたらされる。
あの残酷で、それでいて現実の世界でも「巨人」にまつわるフィクションを除けば起きうると思わせるリアリティのある世界。
それこそが進撃の巨人という物語で描かれている主軸なんだと思うんだ。
実際にあの物語で起きていることと、現実のニュースが重なって見えることも普通にあるじゃんか。
その臨場感こそが進撃の巨人の魅力だと思うんだよね。
鬼滅の刃が進撃の巨人を抑えた理由
そんな拮抗した魅力を抱えている2つの作品だけれども、最初に紹介したランキングでは鬼滅の刃が上位になった。
それはなぜなんだろう?
思うに切り取った物語でも理解しやすいってことなのかもしれない。
進撃の巨人はその複雑さにこそ魅力があるわけだけれども、その複雑さゆえに最初から最後まできちんと見ないとその魅力ってのは伝わらないこともあるような気がする。
つまり「にわか」を受け入れられないんだよな。
話題になっているから見てみようかって言って、Final Seasonだけ見てもその魅力ってのは噛み砕けない。
物語の根幹になる要素は今まで積み上げられてきた物語の中に凝縮しているからだ。
対して鬼滅の刃の場合は、ぶっちゃけ「遊郭編」だけ見ても楽しめるし、そこから前の物語に遡ることも普通にできる。
「無限列車編」が映画単体の作品としても成立していたからこそ、あれだけの興行収入につながっていたんだと思う。
鬼滅の刃は「鬼の恐ろしさと悲惨さ」って言う前提さえ理解できていれば十分に楽しめる物語の作りになっているんだよな。
なあ、あんたはどうだった?
この2つの物語が同時にあるという稀有な状態をどう楽しんだ?
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