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性自認の違いってことを想像する

あんたも性的マイノリティーってテーマの情報に触れてきていると思うんだよね。

実際のところ、この性自認ってのは一定したものじゃなくて、誰しもがいつ何時どうなるかわからないものだってことらしい。

そう考えると、婚姻関係ってすごく難しい。
だって、いつ何時自分が同性に好意を抱くかわからないって前提で考えると、そもそも「相手を好きだ」という感情そのものですら一定のものじゃないって話に行き着くもんな。

今回は、個人の感情ってやつについて考える回だ。

答えなんてあるわけない話だけれども付き合ってくれよな。

宇多田ヒカルさんがカミングアウトした

今回このことを考える切っ掛けのニュースがあったんだ。

いや、ノンバイナリーとか初めて聞いたぞ。

性自認が一定しない状態というか、性自認を特定の状態に定めない感覚ってことらしい。
バイセクシャルともトランスジェンダーとも違うってことなんだね。

宇多田ヒカルさんにはお子さんがいるので、「女性」としてお子さんを産んだって言う感覚とズレが有るってことなのかな。

これってものすごく感覚として捉えるのが難しい。
何しろ自分の中にその感覚があるって確信が持てないからね。

例えばオッサンの俺が「女性」としての要素を持っているってのをどうやって確信出来るのか?
何しろ女性になったことがないので「あれ?この感覚女性のものか?」って客観的に捉えることが出来ない。

それって宇多田ヒカルさんも同じだと思うんだよね。
男性になったことないわけだし。

ああ、でも男性社会である現代の生活の中で男性の感覚ってのは女性は感じ取る事ができる瞬間がもしかしたら多いのかもしれないな。

あり?
そう考えると性自認が物理的な性別と異なるケースってもしかしたら女性の方が多いのか?

ちらっと調べてみたけれども、物理的な性別と性自認の関係についてはうまく見つけることが出来なかった。
もしかしたら、そう言う研究そのものがタブー視されているってことなのかもな。

性的マイノリティは日本では10%

前にもちょっと書いたけれども、日本での性的マイノリティの比率は10%くらいなんだそうだ。

この10%って数字をどう捉えるかってのはあるけれども、普通の生活をするなかで当たり前のようにいる数字ってことで良いんだと思う。

そう考えると、10%ものヒトが法律の壁で「家族」になることが出来ない状態になっているってことなんだよな。

養子縁組という仕組みで子どもと家族になることは出来ても配偶者として愛するヒトと家族になる事ができない状態ってことだ。
まあ、LGBTQには色々なパターンがあるから配偶者として家族になれるパターンも有るけれどさ。
※バイセクシャルで異性とカップルになるケースとか、トランスジェンダー同士のカップルとか

そもそも「家族になりたい」って欲求って法律上のメリットってのもあるけれども、周りのヒトに愛し合っていることを認めてもらいたいって側面があるわけじゃんか?

いや「性自認が物理的な性と異なっているなんて感覚として理解できない」ってあんたが思っていても不思議じゃないとは思うよ?
でも10%だぜ?
マジでそう言う感覚が存在しているってことを俺たちは誰でも想像できないといけない現実ってのがあるっていう数字だ。

宇多田ヒカルさんのケースはさらに複雑だ。

バイセクシャルですらない、ノンバイナリー。
正直、俺はその状態がどういう感覚なのかを想像することもおっついていない。

ぶっちゃけ、宇多田ヒカルさんはめちゃくちゃ社会的な成功者なので、このカミングアウトの意味はものすごくでかい。
誰かしらないヒトのカミングアウトよりも影響力がえげつなくでかい。

そのえげつない影響力で自分が理解できていない感覚に対する対処を求められている。
「お前はどうするんだ?」と問いかけられている。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは俺たちが想像出来ていない世界をどうやって想像していけば良いんだと思う?


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