神田正輝さんと松田聖子さんへのインタビューに見る仕事と正義
あんたも職業上、どうしても自分の中の正義とは反する行動ってやつをする必要に迫られることってあるかい?
神田正輝さんや松田聖子さんが神田沙也加さんの遺骨と位牌を持ってマスコミのインタビューに答える姿って、マジでいたたまれない気持ちになったよな。
自分があの場に記者としてインタビューをしなければならない立場だったとしたら、どういう言葉で質問をしたんだろう?
おそらくだけれども、あの場で神田正輝さんと松田聖子さんにかけられる言葉ってなかったように思うじゃんか。
記者としては「お悔やみを申し上げます」で終わらすわけにもいかず、なんかしらの質問を投げかけるしかなかった。
でもそれが「今のお気持ち」を聞いたとしても「これからの行動」を聞いたとしても、そんなんは何一つ生み出さない。
でも何か聞かなきゃいけない。
マジで地獄絵図だよな。
今回は正解の無い状況において、それでも行動することが会社人として求められる瞬間について考えてみる回だ。
安易に誰かを悪者にしないためにも、この残酷な想像をしておこうぜ。
普通の立場のヒトがあの場でできたこと
職業としてではなく、あの場にヒトとしていて、神田正輝さんと松田聖子さんと会話出来るような立場が自分にあったとしたら、どんな言葉をかけるんだろう?
きっとだけれども、一緒になって悲しむことしかできないと思う。
実際問題、神田沙也加さんがお亡くなりになったニュースを最初に見たときに、周りに誰もいないのにも関わらず、「……嘘だ……」って口から出てきてしまったことを思い出すんだ。
あれだけの才能。あれだけの魅力。あれだけの根性。あれだけの人間性。
どの切り口から見ても神田沙也加さんというヒトを失ったということをにわかに信じたくなかった。
こんだけショックを感じたのって志村けんさん以来かもしれない。
赤の他人の俺がそうなんだから、神田正輝さんと松田聖子さんに至っては想像を絶する辛さに襲われ続けていると思うんだ。
そんなお二人になんて声をかける?
何も言えるはず無いんだよ。
何もできない場でプロとして求められたこと
その何もできるはずのない場にプロの記者として臨まねばならない。
本当であれば、記者の皆さんもお二人のことをそっとしてあげたいと願っていたんじゃないかって思う。
だってかけられる言葉が本当にないんだから。
それでも。それでもだ。
「今のお気持ちは?」
と問いかけなければならない。
そうしなければ、ただその場の空気を文章なりにすると言う、マスコミにとって生命線とも言える客観性を失うことになってしまうから。
俺のnoteのように俺が感じたことをそのまま書きなぐっていればいいって立場に記者のヒトは立っていない。
立場が「いいヒト」であることを許さなかったってわけだ。
仕事においていいヒトであることが許されない状況
そう考えてみると、俺たちの仕事でもこう言う「いいヒト」でいられなくなる状況ってのは普通にあるじゃんか。
誰かを叱りつけなきゃいけない状況とか、普通にあるもんな。
特に叱りつける相手が自分よりも人生の先輩だったりするケースもあるから、なおさらキツイ精神状態になってきたりもする。
逆に俺がなんか仕事上ポカをして、俺よりも若いヒトが俺を叱らなければならないようなシーンもある。
これ、マジで厳しいと思うんだ。
俺が叱られるのはポカやったからだから、それは当たり前として、自分よりも経験値をある面で積んでいるようなヒトに向かって、その経験を否定するようなことを言わなきゃいけない立場ってめちゃキツイじゃん。
叱り方を間違えちまうと、相手が経験豊富なヒトであるほど、叱っている内容が自分に跳ね返ってきちまうようなことも普通にあると思うしね。
それでも俺たちはそのキツイ状況をこなすことを求められる。
なぜって?
仕事をこなさないと、仕事が生み出す成果にたどり着かないからだ。
もっと言えば、その成果がもたらす誰かの幸せを踏みにじることになるからだ。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはどこかの誰かの未来のために悪役になる覚悟を持てるんだろうか?
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