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友達って存在を考える

あんたには大切な友達ってのがいるかい?

友達ってのは生きている上で、欠かし難い存在であるのと同時に友達になるってこともその友達とやり取りを続けてもらえるってことも、実に難しいもんだとも思う。

特に社会に出てから仕事という「やらなければならないこと」を抱えた状態になったときに、その仕事と友人関係を両立出来るほど最初は器用に振る舞えないもんだよな。

そして、その「やらなければならないこと」ばっかりに注力して、友達とのやり取りってのをなおざりにしちまうなんてのは、実にありがちなパターンだと思うわけだ。

今回は友達って言葉を軸に人間関係ってやつについて考えてみる回だ。

まあ、オッサンのボヤキに付き合ってくれよな。

友達って存在を考えてみる

今回、この「友達」って言う単語について考えてみようと思わせてくれたnoteがある。

ほうこさんは、読書家でその読書を通じて感じたことを自分の言葉で表現するって活動を続けてくれている御仁だ。

「自分軸読書」って講座で読書習慣についてのやり方を教えてくれてるんだよね。
ちっと興味があったらみてみそ。
#死語攻撃

でだ。
今回のほうこさんが読んだ本によると、こんな事が書いてあったんだそうだ。

■質問:人事採用時のポイントは?
友達の数。面接に一番大切な友達を連れてこさせて、友達にだけ質問する。

出典:上記note

……おおう。
こいつはヘビーだ。(©バック・トゥ・ザ・フューチャー)

こいつは人事担当として、採用を決めるにあたってどんな方法で決めるかって話なわけだけれども、この採用基準の会社に入りたいと思ったときに、ちっとした絶望に見舞われる。

あれ、俺は自分の採用試験についてきてくれる友達いるっけ?ってね。

大人という立場での友達という存在

実際問題さ。
会社に就職というパターンで社会で生き残っている俺みたいな存在にとってだよ。
友達ってのは実に貴重で、維持することも獲得することもめちゃくちゃ難しい存在だと思うわけよ。

いや、俺が「このヒト、オモロイ!」って思うヒトも「このヒト、ワクワクすっぞ!」って孫悟空(©ドラゴンボール)よろしく感じるヒトも普通にいる。

でも、俺自身がそう思われていないことには友達って関係性は成立出来るもんじゃないじゃんか。

いや、確かにね?
直接会話させてもらって、そのときに「オモロイ」を共有できたって感覚を持つことは普通にあるよ?
でも、それをもって「友達」って言わせてもらえるのかって言うとなかなかに厳しいじゃんか。

人生を預けられる友達

でだよ。
その、ただでさえ作ることにでっかいハードルがある「友達」って存在の中で、就職という実に人生の中でわかりやすい重要なターニングポイントに付き合ってくれる友達ってどうやって作れるんだ?

いや、だってさ。
あんたが友達だと思っているヒトから「とりあえず来週の日曜空いてる?」って聞かれてだよ。
「おお、空いてるよ」って答えたら、「じゃあ、わりーけど就職試験につきあってくんね?」って言われたらどう答える?

「おいおい、どゆことよ?」
か?
それとも、一瞬で状況を把握した上で
「俺がいいのか?」
か?

俺の感覚で言えば、俺自身の人生なんて重いものを俺の友達に預けたいって思えない。
だって、その友達は絶対その重みを理解しちまうと思うから。

ああ、でも逆だったらどう思うんだろう?

俺が就職試験に付き合ってくれって友達から言われたら。

いやぁ、めっちゃ考えるだろうな。
もちろん、その要求にYESと言うのはそうなんだろうけれど、その行動に成果を伴わせるために、何をどうしたら良いのかってのを必死に考える気がするわけだ。

その会社はどうやって利益を伸ばそうとしているんだ?
そもそもその会社はこの先、どれだけ保つんだ?
そこで、友人は幸せな感情を感じることが出来るんか?

友人に依頼された瞬間に星の数ほどの迷いが生じると思う。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは俺たちを最も理解している友人を自分の人生に巻き込む覚悟ってのをどうやれば持てるんだろう?

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