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幸せってなんだっけ?

あんたは自分の幸せってことについて真剣に考えたことがあるかい?

結構な難題だと思うんだよ。この幸せって状態が何者なのかって問ってさ。

第三者から「あんたは幸せなのか?」と問われたときに自身を持って「幸せだ」と答えることも「不幸だ」と答えることも出来ないってのが一般的な状態なんじゃないかとすら思っちまう。

だって幸せってものがどうやったら手に入れられたってことになるのかって数字で表すことって難しいからさ。
なんつっても個人の感覚によるものだから、その数字の軸を決めることも個人の感覚に依存しちまう。

今回は、俺にとっての幸せの軸がどの辺にあるのかを探ってみようって回だ。

まあ、オッサンの言葉遊びに付き合ってくれよな。

男女の幸せの差

いきなり重めの話から考えてみよう。

男性と女性の幸せの感じ方って結構な差があるように感じないか?

これはホントにただの俺のイメージ何だけれども、男性の場合は幸せというか、目指す状態としてお金だったり権力だったりを「手に入れる」ことを目指しているように見える。

俺自身もお金はある程度必要だと思っているし、それが誰かに喜んでもらえた対価だって考え方もわかる。

要するに男性の場合は何らかの形になったものがないと、自分の幸せを認められないわけだ。

対して、女性の幸せってのはもっと感覚によっている気がする。

家族の笑顔であったり、美味しいランチであったり、友人との楽しい会話であったりさ。
もちろんその先に起業して行くヒトも多くいるんだけれど、どうも起業を手段として捉えていると感じるんだよな。
あくまで、幸せを感じる手段として起業を選んでいるわけだ。

もちろん、男性で起業するヒトもいるし、それも幸せのための手段には違いないんだけれど、なんだろう?
得ようとしている状態が違うように感じるんだよ。
うまく言葉にできないな。

男性が社会に認められるために行動するのに対して、女性は自分が納得するために行動するって感じかもしれない。

男性は幸せの軸が社会の中にあるのに対して、女性は幸せの軸ってのが自分の中にあるって感じか。

自分にとっての社会

この男女差ってのは、今の世界が男性社会で出来上がっていることに由来するのかもしれない。

生き物的にヒトにおける男性は狩猟、女性は維持管理を担ってきたと思う。

つまり、社会というのは男性にとっては「戦場」であり女性にとっては「生きる場所」って感じの捉え方の差があるのかもしれない。

そう考えると、男性である自分にとっては社会というのは生きるという明確な意思を必要とする場所なので、生きる事そのものが目的になるのが普通になる。

なるほど。
俺が幸せってものをうまく言葉に出来ないのは「生きている」って魅力に逆らえないからってことになるのか。

俺はこの残酷な世界で生き続けていたい。
だから、それ以外のことはあまり頓着していない。
なので、自分が幸せかどうかなんてことを考える余裕がない。

自分にとっての幸せ

生きている事そのものが俺にとっての目的だとして、それと俺の幸せってのは同じものなんだろうか?

そいつはそんなにシンプルなもんじゃない気もする。

さっきも書いたとおり幸せについて考える余裕がないんだ。

無理やり俺が幸せな状態を考えてみても、スゲー陳腐な状態しか思いつかない。
例えば働かなくても生きていける状態だとか、日がな一日ゲームしていても問題ない状態とか、そんなもんだ。

今だって、休日はあるし、ある程度の生活資金もあるんだから、毎日その状態じゃないにしても、自分が楽しいと思うことを楽しめる瞬間はある。

逆に今の俺が楽しいと思うことを毎日できる状況になったら、俺はそれを楽しいと思わなくなるんだろう。

そう考えると、俺が幸せを感じ続けるってのは無理ゲーなことだってのにたどり着く。
だって、どういう状態になっても「求める状態」の方が変化し続けるって意味だもんよ。

まてよ?
ならその追い求め続けるって状態そのものを楽しんでいるってことになるのか?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちにとって「得られていない」事そのものが幸せなのか?

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