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政治家の意見の受け取り方

あんたも安倍晋三さんが銃撃されたニュースだらけの世の中を眺めているかい?

銃撃をした被疑者のヒトは政治的意図はなかったと供述しているみたいだけれども、いろんなヒトが「民主主義への攻撃だ」という論陣を張っている。

これが意味することは何なんだろう?

事実として、多くのヒトは政治家に対する物理的攻撃は、政治家の言論を封殺することとイコールだから、民主主義への攻撃だと感じるってことなんだろう。

そこでちょっと考える。

あれ?ごく最近でも、政治家の発言を遮るテレビ番組ってなかったっけ?

今回は政治家の発言ってものをどう扱うのが効果的なのかってのを考えてみる回だ。

ちっと、ヒトの言葉ってのの受け取り方について考えてみようぜ。

政治家の発言を遮ったテレビ番組

最近だとこんなニュースもあったよね。

NHK党の党首である立花さんの発言を「趣旨とはずれる」という理由で報道ステーションの番組内で遮ったって話だ。

何?番組の趣旨と外れた発言なんだから、それをコントロールするのは番組として当然だろって?

ポイントはその趣旨ってのに沿った発言しか政治家が出来ないとすると、ある意味で政治家の意見を番組が切り取ることを意味しているってことなんだよな。

俺たちの選挙で選ばれた政治家の意見よりも、俺たちが選んだわけじゃないテレビ局のヒトが言葉の取捨選択を出来るって力を持っている。
そして、その力によって俺たちに届く政治家の意見ってのが「ディレクション」されているってことだ。

確かに論点をわかりやすくするためにジャンルを絞った議論を進めてもらいたいって思いはわかる。
でも発言を遮るってのはファシリテーターとしての能力の問題とかも感じる。

やっぱり、民放のテレビ局が営利法人である以上は、利益相反行為は出来ないから、人気タレントに対する非難を取り上げるのは問題があると思うし、もしかしたら、タレント事務所との間で調整ごともあったのかもしれない。

本質的にテレビ局では「自由な発言」ってのが難しいってことなんだよな。

動画サイトでの発言に「自由」はあるのか

じゃあ、You Tubeとかの動画サイトでなら行けるのか?

確かに民放テレビ局の番組よりは発言時間の制約や内容の制約はゆるくなると思う。

ただ、星の数ほどある動画の中で、政治家の発言にどうやってリーチしてもらうのかって問題もあるし、そもそもプラットフォームに依存した形での配信になるので、発言内容によって検索されにくくなってしまうなんてことも普通に起きる。

政治家の発言よりもプラットフォームのルールが上位にあるってわけだ。

このことを避けるためには、自社サイトを立ち上げてそこでいろんな発言やら何やらを配信していくしか無いわけだけれども、そもそも人通りを確保できないし、確保したとしても、それは「その政治家の意見を聞きに行く」というピンポイントでの興味を持ったヒトだけになるので、広く政治家の意見を伝える手段としては問題がある。

さてはて困ったもんだ。

政治家の意見を伝える作戦

結果としてれいわ新選組みたいに街頭演説をそのまま動画コンテンツとして配信するみたいな手法をとるところが増えているってことなんだろう。

街頭演説というリアルな体験を通じて、その体験を追体験するための動画配信という手法だ。

その意味ではNHK党の立花さんの発言を遮ったというテレビ報道は、結果としてNHK党の検索をするヒトを増やす結果になっているのかもしれない。

実際、いろんな世論調査でNHK党は議席確保しそうだって話があるもんね。

自分もちょっとだけ立花さんとの対談映像みたいなのを見たけれど、言っている内容は実は結構まともなんだよね。
まさに目立ってから意見を共有するってやり方なんだろう。

安倍晋三さんの死去の意味

その意味で考えると安倍晋三さんが亡くなられたことのインパクトは計り知れない。

田原総一朗さんも、今回のことで今度の参議院選挙は自民党に有利に働くとコメントしているみたいだ。

実に不謹慎だとは思うけれど、多分これは現実になるようにも思える。

悲劇に対する対抗心ってのは日本のお家芸みたいなところもあると思うしね。

でもさ。
本来は政治家の意見ってのの中身を吟味することが俺たちの権利であり義務なんだよな。

インパクトってのはその意見にふれるためのきっかけってだけなんだよな。

なあ、あんたはどう思う?

明日の参議院選挙に向けて、俺たちはどれだけ政治家の意見の中身を考えることが出来るんだろうか?

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