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「ゲーム的」がネガティブワードに使われる意味

あんたも「ゲーム的政治運動」ってパワーワード見たかい?

ここで言う「ゲーム的」ってどう言う意味で表現したんだろうな?
なんとなく想像するに、ゲームで出てくるボスキャラみたいな存在ってあるじゃんか。
そう言う存在として誰かを攻撃しているのが愚かしいぜって話を書こうとしているのかな?

うん?
でもそれの何が問題なんだろう?

勝ち負けを明確にするって考え方はそんなに違和感のない感覚のような気がする。
むしろ小学生の徒競走に順位をつけないようにする教育とかの方が違和感がある。

そう捉えると「ゲーム的」じゃない政治って無くないか?

今回は「ゲーム的」に政治を捉えるってことについて考えてみる回だ。

ちっと「ゲーム的」って状態について考えてみようぜ。

「ゲーム的」がネガティブに捉えられる意味

ぶっちゃけ、今回についてはColabo他の団体については、あんまり考えてないんだよね。

シンプルに「ゲーム的」ってのがなんでこんなにネガティブな文脈で扱われているのかってのに興味が向いたんだよ。

いわゆる「オタク」という存在に対する嫌悪感ってのがまだ世の中にあって、その嫌悪感が一般的に受け入れられる土壌があるってことなのか?

たしかに俺がワカゾーの頃はそう言う風潮も普通にあったけれども、いろんなコンテンツが世の中に認められてきているなかで、コンテンツに対する偏愛って存在はワリカシ認められ得る風潮になってきていると感じてたんだよ。

アニメでも、ゲームでも、アイドルでも、歴史でも、小説でも、マンガでもだ。

ガンダムがスキなやつも、ファイナルファンタジーがスキなやつも、乃木坂がスキなやつも、戦国時代がスキなやつも、Blue Giantがスキなやつも、俺たちは同様にそのスキっていう気持ちの存在を受け入れてきていると思っているんだよね。

で、この「ゲーム的政治運動」なるものが危険だっていう話は「政治をスキになっちゃダメ」って話なんだっけ?

政治がスキということ

ぶっちゃけね?

俺としては政治を遊び感覚で認識するってのは、政治の間口を広げるって意味でめちゃくちゃ重要だと思ってるのよ。

だって、楽しくなきゃ「見よう」って思わんじゃんか。

もし、今回の騒動がなかったら、俺は若年女性の課題ってものに目を向けることもなかったと思う。
個別のヒトの悩みには目を向けたとしても、社会構造としてその問題を何とかしようとしている団体がいるってことも知らないままだったと思う。

同時にそこに巨大な利権が生じうるという危険性にも気を回すことも出来なかったと思う。

そうなんだよ。
なんでも「見る」ことから始まるわけじゃんか。

そして「見る」ためにはどうしたってオモロイが伴う必要が出てくる。

誰だってどうでも良いことなんかに時間を使えないからね。

「ゲーム的」を否定する意図

じゃあなんで「ゲーム的」であることを否定的に表現するのか?

たぶんさ。

その表現が「オモロイ」って思ってるからだろ?

そう表現することで、とある事象に対する異なる意見を持っているヒトを分断し、対立を煽り、さらなる「オモロイ」を作り出す。
まさに「ゲーム的」にね。

言い方を変えればマッチポンプってやつだ。

実に皮肉な話じゃんか。
自らが否定している「ゲーム的」な言論を、それ否定する文章で使っちまっているってのはさ。

俺としてはいろんな言論ってのは「ゲーム的」であって良いと思ってるのね。
楽しんで言葉を交わさないと、議論を発展させるっていう意欲を持てないと思うからね。

それは相手を打ち負かすっていう「オモロイ」でも良いし、相手の言っていることを吸収するっていう「オモロイ」でも良い。
もっと前段階で自分が納得する言葉を見つける「オモロイ」でも良い。

言葉を使うって言う本質的な「オモロイ」で良いと思うんだよ。

なあ、あんたはどう思う?

この朝日新聞の記事は俺たちに「オモロイ」を提供してくれていると思うかい?

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