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ボルジャーノンに花束を

あんたにはたまに何かの物語を衝動的書きたくなる瞬間ってのがあるかい?

だいぶ前に機動戦士ガンダムSEED Destinyの終わり方が気に食わないヒトが集まって「このやろう続編俺たちで作るぞ」ってのが持ち上がったときがあったんだよ。

その時はオモロイって思ってサイトを立ち上げたりしながら物語を紡ぐいろんな側面を体験させてもらったんだよね。

結局は終わりまで話を持っていくことは出来なかったんだけれども、二次創作の楽しさみたいなのはスゲー感じることが出来たんだよね。

今回は昔にふと思いついたタイトルからの物語のプロットを考える遊びの回だ。

まあ、オッサンのお遊びに付き合ってくれよな。

ボルジャーノンに花束を

なんか学生の頃に一時期アニメから遠ざかっていたときがあるんだよね。

その頃に放送されていたガンダムにターンAガンダムってのがある。

こいつは、過去のガンダム作品に出てきた話が全部未来ではつながっているって設定のガンダムなんだよな。

その中で発掘兵器として過去のモビルスーツたちが登場する。

その発掘兵器の一つとして、1Stガンダムのザクも登場する。
当然ながら当時の名前なんてわかりゃしないので、「ボルジャーノン」と命名されたって話だ。

ってか、そのくらいの知識しか無いんだよな。
まともにターンAガンダム見てないんだよ。

それと同時に「アルジャーノンに花束を」って名作小説があるじゃんか。

こいつは何度か読み返したくらい好きな物語なんだよね。

知的障害を持った主人公が治療を施されて超絶的な知能を身につけるんだけれども、その知能故に自分に施された治療が時限的なものだと気づき、その理解のママに元の知的障害状態に戻っていくって話だ。

ヒトの優しさが悲劇という形で描き出された傑作だ。

で、学生時代にこのアルジャーノンとボルジャーノンって似てるよなぁって思って思いついたタイトルが「ボルジャーノンに花束」をってわけだ。

兵器とヒト

で、そのタイトルにはどんな物語が似合うのか。

まずボルジャーノンは兵器だ。
兵器に花束というのは非常に似つかわしくない。
このギャップをどう描くかってのがポイントだよな。

必要なのは兵器が花束というヒトの感謝を受けるってのがどういうことなのかって話だもんな。

兵器というのは国だとか組織の防衛のための道具であり、時代背景によっては侵略のための道具でもある。
どのケースでも兵器には「暴力」という要素がついて回る。

ヒトはどういう時に「暴力」に「感謝」をするのか?

ここ最近のニュースを眺めていると、戦争の悲惨さってのが直に感じられて、どうしても暴力に感謝するってシーンは思いつかない。
自国の軍に対する感謝ってシーンのニュースを見ると、プロパガンダなんじゃないかって違和感のほうが勝ってしまう。

そう考えるとボルジャーノンが花束を受けるシーンってのはどういうのがあるんだろう?

整備士と兵器

なんとなくイメージが湧いてくるのは「整備士」って立場なんだよな。

兵器ってのは必ず壊される。
壊された部分を修理して、また壊される戦場に赴くボルジャーノン。

ヒトが乗り込む前提の兵器。
いつ潰えるとも分からない命を乗せた兵器。
いつ命を奪うかもわからない兵器。

その兵器を必死に整備しつづける整備士。
自分の仕事が自軍の勝利につながると信じて。

ある日、ボルジャーノンは敵の兵器を鹵獲してくる。
鹵獲された兵器はボルジャーノンと同じモビルスーツ。

コックピット周りにこびりつく血糊。
破壊されたコックピット。

そこにヒトがいたという圧倒的な存在感。
戦争が生み出した「命を奪う」という行為を目の当たりにする整備士たち。

でも、自分たちの仕事がなければ、戦線を維持することも出来ない。
奪われるのは仲間の命。
そんなジレンマにたまらないほどの嫌悪感をボルジャーノンに感じてしまう整備士。

でもそれと同時に何かを感じる整備士。
火が入っていない状態のボルジャーノン。
まるで眠るように沈黙しているボルジャーノン。

整備士はつぶやく。
「お前だって、なりたくてボルジャーノンじゃないんだよな」

整備士は気がつく。
泥だらけになっているボルジャーノンを。

整備士は捧げる。
ボルジャーノンの手にタンポポを一輪。

タンポポの花言葉。
それは「別離」

整備士は整備の仕事に戻った。

なあ、あんたはどう思った?

こう言う物語を紡ぐって遊びも良いもんだと思わないか?

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