見出し画像

竹中平蔵さんに感じてしまった嫌悪感

あんたにも生理的に受け付けないってヒトがいるかい?

俺としてはできるだけヒトの評価は他のヒトにも理解できる形にしたいと思ってやまないわけだけれども、それでもキチンと説明できる形で俺が感じている嫌悪感ってやつを言葉にできるとは限らないんだよな。

その状態は健全だって言い切ることは俺には難しいんだけれども、この嫌悪感が俺の中にあるってのはれっきとした事実なんだよな。

今回はこの俺の中にある嫌悪感を考えてみる回だ。
ちっと気持ち悪い話だけれども、付き合ってくれよな。

そのヒトの名は「竹中平蔵」

今回、俺が嫌悪感を感じてやまなかったのが竹中平蔵さんだ。

多分だけれども、竹中平蔵さんに対して肯定的に捉えているヒトって比較的少数派なんじゃないかって想像をしているんだよね。

今のデフレの元凶とも言える人物だって評価はワリカシ一般化しているような気もするんだ。

ところが竹中平蔵さんは一定の評価を受け続けている。
パソナの取締役として活躍されているだけではなくて、政治にも影響力を及ぼし続けているって実態がある。

菅総理とは小泉内閣時代に同じ組織で働いたって関係性があるからわからなくもないが、河野さんに対してアプローチしているってのは俺の感覚ではおぞましさを感じてしまうんだ。

そんなに利益を追求したいのかってさ。

単純に自分の意見を届けたいってだけなら、今の政局が収まってから求められた上で自分の意見を伝えれば良いはずだ。
まだ、だれが自民党総裁選を勝ち抜くのかもわからないときからのアプローチはどう見ても自分の発言力を高めるための行動にしか見えないんだよ。

俺の中の嫌悪感の源泉

ぶっちゃけ、竹中平蔵さんに対する嫌悪感ってのはメチャクチャ俺の主観によるもんだと思うんだ。

竹中平蔵さんがどれだけ日本の経済を壊し続けてきたかってのをきっちり言葉にしたとしても、多分俺の感覚を説明したことにはならないと思うんだ。

これだけ誰かに対して「嫌い」って思うことって俺にとっては珍しいと思うんだよな。
それでも嫌いって俺が感じている感覚ってのは事実だと思う。

その事実に向き合うこと。
それが今の俺が俺自身に向き合うことになる気がするんだよ。

悪意がないこと

ここからは俺の完全な感覚でしかないので、事実とは異なる可能性が大いにあると思って読んでほしいんだ。

俺の中で竹中平蔵さんに対する嫌悪感の源泉を辿ろうとしてみると、彼の言動から感じ取られる「悪意のなさ」ってのがある気がするんだ。

竹中平蔵さんのやってきたことを見ると、正規社員で働くという働き方から非正規雇用で働くという働き方への変化ってのがあると思う。

その上で、自分自身はパソナの取締役として途方も無い成果を会社にもたらしている。

大多数のヒトにとって、この変化は歓迎されるものじゃないと思う。
なんと言っても、経営のリスクを大多数の労働者で分配することになるので、多くのヒトの生活基盤を不安定にしたってのは事実だと思うからね。

ところが竹中平蔵さんに言わせれば、それは経営の難易度を下げることになるので、より変化に強い企業を作り出す基盤になるって言うわけだ。

そこには全く悪意は感じられない。
本気で個人よりも企業が成長することが大事だって思っているように見える。

多分、俺が竹中平蔵さんに嫌悪感を感じている源泉はここなんだと思う。

俺にとっては企業活動というのは働く個々人の幸せのための手段であるはずなのに、その手段の効率化のために個々人の幸せを蔑ろにしても問題ないって感覚。

その感覚を持った上で、幸福量の最大化を目指すためのものである政治に関わろうとしている。

その状態を眺めると、まるで自分とは違うモラルで動いているヒトとして感じられてしまう。
一言で言えばわかり合える気がしないんだ。

経済活動なめるなよ?って意見が俺に向くかもしれない。
そう言う意見があっても普通だと思う。

ただ、組織の利益のために個人の幸せを踏み台にするのに悪意を持たずに行動できるヒト。
俺は竹中平蔵さんをそう言うヒトだと感じてしまった。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはモラルという基盤なしにわかり合うことが出来るんだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?