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満足の行く仕事

あんたは満足の行く仕事を出来ているかい?

俺たちオッサンともなれば、ありとあらゆる仕事をこなしていると思うんだが、日々その仕事に追われているだけで、その仕事に満足を感じているかどうかなんてことには思いも向けられていないってのが実態かもしれないよな。

でも色んな作品や色んな記事を読むにつけ、満足行く仕事ってのが俺たちに与えてくれるものってのは、馬鹿にならない価値なんだろうって思えるようになってきた。

今回は、そんな満足行く仕事ってやつについて考えてみる回だ。

まあ、ちっと付き合ってくれよな。

満足行く仕事ってことを考える切っ掛け

今回、俺に満足行く仕事ってキーワードをくれた記事があった。

これだ。

入浴剤一つとっても、自分の中での価値っていうのはその捉え方によって千変万化する。

バスロマンがくれる喜びとクナイプがくれる喜び。

ぶっちゃけ伯方の塩だっていいわけなんだが、入浴剤一つでこんなにも喜びってやつが自分の中に湧き出るって話だ。

これをバスロマンを作っている人とクナイプを作っている人、それに伯方の塩を作っている人はどう読むんだろう。

バスロマンを作っている人はがっかりしてこの記事を読むんだろうか?
なんとなくだけれども、違うんじゃないかと思うんだ。

バスロマンを作っている人はその商品コンセプトにそってものを作っている。手頃な値段で毎日の「当たり前」になりたいって思っているかもしれない。

そうだとすれば、この記事はバスロマンを作っている人にとって「我が意を得たり」ということになるんだよな。

仕事の満足の源泉

俺たちシステムエンジニアも毎日仕事をしている。当たり前だよな。

その中で、自分たちは何に「満足」を感じているんだろう?

仕事を単純にお金を得る手段として捉えたときに、お金を満足行くだけ受け取れたらその仕事に満足出来るのか?って問が俺たちに湧き上がることがある。

金額の多寡にもよるんだろうが、大抵の答えはNoだ。

俺たちは時間という俺たちの命そのものをかけてその仕事をやっている。
俺たちは俺たちの仕事に命をかける意味を求めている。

仕事の意味。言い換えるなら、仕事をやる理由ってことになるか。

つまり何が面白くて仕事をやっているのかって話だ。

多分10人いたら、10人が違う答えを出すんだと思う。そりゃあそうだろう。フラワーアレンジメントの仕事の面白さと銀行員の仕事の面白さが同じものであるはずがないもんな。

そうだとすれば、俺とあんたの仕事の面白さも違うってことになる。

なら、そんな「仕事の面白さ」なんてものを追求することにはあまり意味がないってことになるんだろうか?
答えはむしろ逆だ。

俺たちが10人いたら、10人の満足がそこにあるって意味は計り知れない。

なんつっても、俺たちは、俺たち以外の9人の満足についてろくすっぽ知らないってことなんだからな。

人の価値について知るという喜び

オッサンになっても、知らないことはものすごく多い。

未だに俺はたいやき屋さんの原価構造について思いを馳せたこともないし、クラウドファウンディングを立ち上げたこともない。

本を書いたことも無ければ、山口県に行ったこともない。

俺たちは知らないことがものすごく多い。

これは世界中にいる70億もの人たちが感じている「満足」についてろくすっぽ知識を持っていないってことを意味する。

それだけ多くの「満足」を理解していないってことは、その人々が何を求めているかってことを全く知らないってことだ。

こうしたら喜ぶかな?

こうしたら笑ってくれるかな?

そんな中学生のような純粋な思いを持つってこと。
それはもしかしたら、その巨大な謎に挑むために必要なものなのかもしれない。

仕事ってのは誰かの満足に向かっていくってことのはずだ。

でも俺たちは周りの人の「満足」についてほとんど何も知らないってのが実態なんだよな。

極端な話、家族が何に満足を感じているのかって、あんたは言葉にして考えてみたことがあるかい?

それほど、満足ってやつの実態を掴むことは少ない。そのきっかけすらない。

それでも、俺たちが仕事に本当の意味で満足するためには、誰かの満足ってやつを形にしないことには始まらないってことなんだろう。

なあ、あんたはどうだい?

あんたの仕事は誰かの満足につながっているって確信できるかい?

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