存在感を得る意味
あんたも迷惑行為の動画やらなんやらの投稿が後をたたないってニュースを眺めているかい?
たまたま俺が見つけたニュースにこんなんがあったんだ。
なるほど。今度はラーメン屋さんがターゲットになっちまったんだね。
何となく思うのは、想像力ってのがないのか?ってことなんだよな。
だって思うじゃん。
そんなんしでかしたら、後々めちゃくちゃめんどくさいことになるし、そもそもお店のヒトがめっちゃ迷惑するし、なんならお店を利用しているヒトも「このお店にはそんなことするヒトが来ているんだ」って思うじゃん。
ここで迷惑行為をしたヒトってそう言う想像力が働かないヒトなのか?
「そうだそうだ!」って言いそうになるんだけれど、もしかしたらもちっと別の要素があったりするんじゃないか?
今回は迷惑行為を飲食店でするヒトの心理について考えてみる回だ。
ちっと俺たち自身を含めたヒトって存在について考えてみようぜ。
飲食店で迷惑行為をするヒト
まず飲食店で迷惑行為をしているヒトってどんなヒトなんだって見てみると、何となく俺の偏見もあるかもだけれども、こんな傾向があるように見える。
若い
男性だ
グループで動いている
動画で発信している
全部が全部の事件を追っかけられているとは思わないんだけれど、俺の低めのアンテナに引っ掛かってくる事件ってこんなヒトが起こしている様に見えるんだよな。
あ、でもオッサンが飲食店で文句言って暴れたって話は別のものとして聞くな。
なので、1~4はAND条件ね。
※全部が揃ってはじめて成り立つって条件。
なぜ迷惑行為をするのか
この条件を満たすヒトが起こす迷惑行為ってさ。
ぶっちゃけ対象の飲食店に恨みだのなんだのって言うマイナスの感情が出発点にあるようには見えないんだよね。
もっと大きくて漠然としたものに対する不満みたいなものがあるように感じるんだよ。
なんつーの?
大人は汚い的な?
まあ、その意見にたいしては「そうかもなぁ」だし「オマエモナー」なんだよな。
誰だってなんかしらの工夫をしながら暮らしているし、それが他の誰かから見たら「汚い」って思われることもあるだろう。
そう考えるとさ。
この迷惑行為をするヒトにとって、この行為は「工夫」なのか?
なんのための「工夫」なのか
さっきも書いた通り、迷惑行為を飲食店でするヒトは飲食店に恨みを持っている訳じゃないように見える。
で、仮に迷惑行為をしているヒトが生き延びるための「工夫」としてそんな行為をしていたと言う動機があったとする。
それってなんのための工夫なのよ?
まあ、そう思うわな。
ポイントは「グループで」動いているってことなんじゃないかな。
何を言っているか分からないって?
つまり、そのグループのなかで存在感を示さないと、自分の存在意義ってのを感じられない状態になっているんじゃないかって想像だ。
ガキンチョの頃ってさ。
学校のクラスだとか、部活だとかさ。
めちゃくちゃ狭い世界観の中でしか過ごさないじゃん。
やれスクールカーストがどうのこうのとか言われるのは、その世界観の狭さってのが影響していると思うんだよな。
人間も生き物なんでさ。
直接的なコミュニケーションでとれる「仲間内」って関係性ってのはめちゃくちゃ狭くならざるを得ないんだよな。
それこそ宗教だとか団体だとかって「虚構」を作り出さない限りはね。
あんたも「仲間」って思えるヒトの数は限られていないかい?
で、その限られた仲間内、つまりグループの中で際立った存在感を示したいって言うのは、まあ自然な考えなんだと思うんだ。
つまり、あの迷惑行為はグループの中で自分の存在感を作るための生存競争なんじゃないのかってことね。
だとすれば、どうすれば良いんだ?
そんな手段じゃなくてもグループの中で存在感を示すことは出来るよってお行儀良く伝えれば良いのか?
たぶんそれじゃ伝わらない。
だって、それじゃ「どうしたら良いのよ?」に答えてないもんな。
存在感を示すにはどうすれば良いのか?
オモロクなればいいんじゃないか?
俺たちはさ。
もっと「オモロイって別の形があるぜ」ってことを伝えていく必要があるってことなのかもしれないな。
なあ、あんたはどう思う?
あの行為をなくす方法って何があると思う?
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